ということで、おそらくは体液を介した内分泌系の情報伝達から、神経伝導系が分化発展したのではないかという推理が成り立ちうる。
そうすると、それを学問的に裏打ちできるかどうかという話に進む。それには系統発生学の世界に飛び込むしかない。
その前に、論理として整理して置かなければならないことがある。
1.内分泌系と神経系に前後の時間差があるかどうか
2.有線化によって得られるメリットは何か。内分泌系と神経系の本質的差異はネットワークの形成にあるのだろうが。
3.それは動物の進化にとってどんな意味があったのか、神経系の発達は動物系をいかに進歩させたか
4.神経系に一本化されずに、古い内分泌系も残って、共存関係になった理由は
5.シナプスという前時代的な装置が残されたのはなぜか。コンデンサー(蓄電体→記憶体)としての役割?
6.化学的エネルギーから電気的エネルギー(活動電位)への転換というエネルギー形態の転化(物理的転換)はいかにもたらされたか
とりあえず以上のような事項が念頭に浮かんでくる。

なかでも最大の哲学的課題は3.にある。
A 生命の始まり(エンゲルスとヘーゲルのテーゼ)
生命とは蛋白体の存在の仕方である。そして、この存在の仕方で本質的に重要なところは、この蛋白体の化学成分が絶えず自己更新を行なっている、ということである
有名なエンゲルスのテーゼだが、この人は他人の考えをスルッと小奇麗にあしらう名人だから、きっと何か元ネタがあるのだろうと思う。
ただ、このテーゼの後段で「代謝過程が本質だ」というのは一面的である。
正確に言うのなら「生命は二重の過程の複合である」と言うべきだろう。生命を実体として捉えるのなら、たしかに代謝過程そのものだ。しかし何よりもそれはヘーゲルの言う「対自有」なのだ。自然の一部ではあるが、自然一般に解消されない「おのれ」というものがそこにはある。
自然において疎外されていた個体(ヘーゲルの言う「理念」)は、その展開において、「その直接性と外面性を脱して、自らの内へと帰り、まず生きたものとして現われる」
この独自性を紡ぎ出し、自然に対して独立性を主張し、自然の流れに抗うことに生命の本質がある(ここを指摘しないから、ヘーゲルは逆立ち人間になるのだ)。代謝過程はそのための必須のアイテムなのだ。この観点は、しばしばエンゲルスから抜け落ちることがあるので要注意だ。

B 単細胞生物から動物と植物への分化

以前、生物は植物と動物から構成されると書いたが、訂正する。生物は微生物(単細胞生物)と植物、動物から構成される。
ウィルスは「生命と無生命のあいだ」に位置するが、これは無生命から生命が生まれる過程に存在するのではなく、微生物が「退化的進化」を遂げたものであり、グータラの極みだ。
初期の単細胞はまったく風まかせの生活を送っており、日々絶滅の危機に晒されつつ、それを旺盛な繁殖力で補っている。中には「タンパク質の存在の仕方」を中断して、代謝過程もストップして、死んだふりをして生き続ける強者もいる。
そのうちに葉緑体を細胞内に取り込んで、光合成を行い、栄養を自賄いする単細胞生物が現れる。(厳密に言うと代謝はエネルギー源としての炭水化物の摂取と、体成分としての窒素化合物の摂取からなるが、後者は省略する) これが多細胞化し植物の先祖になっていく。厳密に言うと葉緑体に寄生する生物ということになるのかもしれない。
植物系の生物が増えてくると、これを食することによって栄養を賄おうという生き物が出てくる。これが多細胞化することによって動物が生まれてくる。
植物は光と水のあるところどこでも原理的には生存可能である。しかし動物は植物なしでは生きていけない。従属栄養生物である。
然るがゆえに、動物は絶えず植物をもとめてさまよう。これが動物の「本質的な存在の仕方」である。
初期の動物である海綿やサンゴには神経はない。だから、海底の何処かに根を張って「お客さんいらっしゃい」とっ口を開けて待っているのみである。プランクトンも(多くはもっと高等な動物の幼生であるが)水中を漂いながら偶然に口に入る栄養を獲得するのみである。
ところが生物界がさらに発展すると、植物ばかりでなく動物も多種多様に発展する。そうすると植物より遥かに効率の良い肉食に転化する動物も現れるようになる。それはやがて、食物連鎖と呼ばれる弱肉強食の世界を形成することになる。

C 食物連鎖を生きるためのアイテム

食物連鎖の世界を生き抜くということは、まず捕まえることであり逃げることである。これから派生する能力は餌を求めて移動することであり、ライバルとの競争に打ち勝つことである。
これらすべてのことには瞬発力、集中力、判断力が必要だ。「人間は考える葦だ」と言うが、動物はみんな考えている。言葉にしないだけだ。「本能だけで動いている」というが、それは過去の考えの蓄積がDNA化(?)されただけの話だろう。運動神経がだめな人間は、過去の祖先が学習しなかったからだ。祖先を恨め。
とにかく、この世界に生き抜くためには本格的な神経回路が必要になる。そして本格的な神経回路の条件とは瞬発力、集中力、判断力、持続力だ。
餌をもとめるさすらいの旅、餌を待ち伏せる我慢が長期にわたることもある。その際は上の4つに加えて記憶力が求められる。持続力も判断力も記憶力に裏打ちされてのものだから、それらの代わりに記憶力を加えた方が適当かもしれない。

3.の説明が長くなったが、とにかく神経系に関する6つの論点をあげてみた。
さてそれでは系統発生学の世界に飛び込むとするか。

*ついでに、肉食動物と草食動物について
肉食動物と書いたが、いま世間で言う肉食系、草食系の意味ではない。
この世に存在する高等動物(少なくとも脊椎動物以上)はすべて雑食系と見るべきであろう。
野生のライオンは草食動物の肉しか食わない。しかしそれは適応であろう。その土地の食物連鎖の中のどこに自らを位置づけるかという選択があり、それに付随した身体的変化が起きただけだろうと思う。
猫も犬もいまやペットとして缶詰付けになっているが、その昔は家族の食べ残し(いわゆる猫まんま)で暮らしていた。さらにその昔は山猫なり狼なりとしてブイブイいわせていたに相違ない。