ふと見つけた講義録が大変面白かったので紹介する。
「会計学の根底にあるもの」となっている田中章義さんという東京経済大学の教授だった方が、2005年に行った最終講義のようだ。当時70歳、いまの私と同じだ。
講義は生い立ちから述べられている。札幌の山鼻の生まれ。結核で2年休学してからの北大入学だから、イールズ世代と安保世代の中間ということになる。
農村セツルメント「どんぐり会」で活動していたと言うが、私の入学する6年も前に卒業しているから面識はない。
ということで、話そのものが面白いのだが、今日取り上げるのはその中で石川啄木の「飛行機」という詩を引用されたところ。大変良い詩なので、そのまま重複引用させてもらう。ただし、多少の異同があるので、元の詩そのものを引用する。
講談社版『日本現代文学全集』39「石川啄木集」(昭和39年2月19日発行)
飛 行 機 |
啄木25歳(死の前年)、明治44年(1911年)6月27日の作です。「はてしなき議論の後」などの詩と一連です(詩集『呼子と口笛』)。
岩城之徳の解説によると、この詩には、少年が「飛行機」に仮託した夢と、少年の暗い現実が意味する作者の絶望感との両者が並行して提示されている。つまり一編の主題はどちらか一方のみをいうことにはなく、両者の関係をいうことにあったのだろう。すなわちこれは、脱出しようもない人生の暗さを自覚するがゆえに、いっそうそこからの跳躍を願い、また願わなければならないと思う作者の心情を表白した詩である。
引用しておいていうのもなんだが、「あんたの意見を聞きたいんじゃないんだよ」とおもう。こういうのを蛇足と言うんだろう。
それにしてもひでぇ文章だ。「つまり」と「すなわち」を並べ立てるなど愚の骨頂だが、それでも「要するに、結局のところ」ともう一文入れたくなるくらい、まとまっていない。これで原稿料とるとは相当のいい度胸だ。
何も説明の要らない詩だが、強調するとすれば、「はるけき夢と希望」(明治44年における飛行機と、今日の我々にとっての飛行機とはまったく意味合いが違う。なにせ蝋燭の炎の下で果てしない議論を繰り返していた時代だ)と、少年を見つめる作者の眼差しの優しさだ。
それが「されど誰ひとりとしてヴ・ナロードを…」の「はてしなき議論の後」と引き立て合っているかもしれない。なにせ大逆事件の直後だ。そして自らにも死が忍び寄っている。
そういう閉塞感の中の抜けるような蒼空の一瞬だ。悲しいわけではないが、何故か目頭が潤んでくるような光景ではないか。
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