本日の文化面の「潮流」というコラム。
見出しは「ノーマ・フィールドの指摘」というもの。
ノーマ・フィールドは小林多喜二の紹介者として有名な日本文学研究者。
私も一度講演を聞いたことがある。
記事は、ノーマ・フィールドが中心となって「プロレタリア文学研究」が発行されたことに関するものだ。
それについての説明は省くが、記者が紹介したノーマ・フィールドのリアルタイムの問題意識が面白い。
白人貧困層から後ずさりする白人リベラル
彼女はトランプ現象を前に、「白人リベラルが白人貧困層にかける言葉を持たない 」という問題が浮上したと考えた。記者はこの問題について、「ノーマ氏は鋭い目を向ける」と表現している。
それは「(白人リベラルが)白人貧困層を同じ人間として見なすことができなかったことではないのか
解答は実践にあり
その視点から、プロレタリア文学運動の魅力をあらためて見直してみると、そこには答えがあるという。
プロレタリア文学の何よりもの特徴が参加者の「実践」的姿勢にあったということだ。
ふつうは顧みられない、社会の底辺に暮らす人々をだいじに、立体的に、具体的に 」把握することが出発点である。
そして「軽視された人生に尊厳を吹き込む行為 」として結実させなければならない。
「かけるべき言葉」を失ったリベラル
その営みを通じて、「貧困層を同じ人間としてみなす」ことができるようになるのではないか。
翻ってみればリベラル層はその営みを軽視し、積み上げてこなかったのではないか。
我々の掲げるスローガンが草の根に届かないもどかしさは、日頃感じるところであるが、それは庶民語で話そうとしない我々の側の怠惰に起因しているのではないか。我々の言葉は意味を失って浮遊しているのではないか。
ノーマ・フィールドはそこまで掘り下げた上で、あえて「言葉を失ったリベラル」を叱咤し、「言葉を取り戻せ」と呼びかけているように思える。