「カストロ 十話―知られざる逸話」

1.サメの泳ぐ海を泳いで逃げた

カストロが国立ハバナ大学に入学したのは第二次大戦の終わった年です。

カストロはやる気満々でオリエンテ(東部)の田舎から出てきました。

一説によれば、カストロはヒトラーの「我が闘争」を愛読,ムソリーニの演説フィルムを見ては,鏡の前で演説の練習をしたそうです.

当時の学生運動は軍隊帰りもいて、多少の暴力はいとわない血気盛んな時代で、3つの集団が覇権を争っていました。

カストロもそのひとつに近づくのですが、自分こそが指導者だと思っていますから、組織の論理で動くことはありませんでした。

当時の真正党政権は比較的進歩的でしたが、汚職・腐敗はひどいものでした。これを正そうという正統党を担いで学生を組織していきます。

このとき、隣の島ドミニカの独裁者トルヒーヨを倒そうという運動が持ち上がります。半分は暴力学生の矛先を外に向けようという支配層の思惑でもありました。これにカストロも乗ります。

カストロら参加者1200名が沖合の小島に集められ軍事訓練を開始しました。ところが直前になって、陰謀はアメリカの知るところとなり、米政府はキューバ政府に弾圧を求めました。

小島に取り残された参加者は一網打尽となるのですが、カストロはゴムボートで脱走.最後にはサメのいる海を泳いで対岸にたどり着き脱走に成功します。

カストロの偉いのはその日のうちにハバナにたどり着きただちに行動を開始したことです.カストロが政府非難の集会に顔を見せるや満場の拍手で歓迎されました.このような土壇場でのクソ力が何度カストロの命を救ったことでしょうか.

これが最初の武勇伝。

2.ボゴタ事件に遭遇

カストロと対立する暴力集団の幹部が暗殺されました。その場に居合わせた人物がフィデルを犯人だと名指ししたためカストロは逮捕されてしまいます.

これが偽証だったことが分かり警察からは釈放されますが、暴力集団はそれで許してくれるわけではありません。

当時法学部の自治会委員長だったカストロは、第1回LA学生会議がコロンビアで開かれるのを知り、これに飛びつきました。

コロンビアの首都ボゴタに到着したカストロは、学生代表として進歩派の代表ガイタンと会見の約束を取り付けます。ガイタンは自由党の大統領候補者として国民のカリスマ的人気を集めていました。

ところが会見の直前、ガイタンが街頭で暗殺されてしまったのです。これをきっかけに憤激した群衆が暴動を起こしました。「ボゴタソ」と呼ばれる事件です。

反乱のあいだフィデルはどうしたかということですが,この血の気の多い青年がじっとしているわけがありません.どさくさ紛れにいつのまにか学生の一団を率いることになります.

しかし、この手の暴動が長続きするわけがありません。やがて政府軍が進出し、暴動派の形勢は不利になりました。

カストロは近くの山に逃げ込み一夜を明かしました。そのあげくキューバ大使館に命からがら逃げ込みます.キューバ大使館はこの厄介者を密かにハバナ行きの家畜輸送機に潜り込ませます.

なおこのボゴタソはコロンビア全土に波及し、農民の抵抗の中からFALCが生まれていきます。今回の停戦に至る間、キューバがさまざまな交渉努力をしたのもそういう因縁でしょう。

3.ジャイアンツから指名されたカストロ投手

パターソンの本におもしろいエピソードが載っています.48年11月ボゴタソから半年後のことです.キューバ転戦中のメジャーリーグ選抜チームがハバナ大学と対戦します.

ハバナ大学の主戦投手はなんとフィデル.それがメジャーリーグを3安打無得点に抑えてしまったというのですからどうも開いた口がふさがりません.あまりにもハリウッド映画の世界です.

その年のストーブリーグではニューヨーク・ジャイアンツが彼を指名し年棒5千ドルを提示しました.しかしフィデルは熟慮の末この誘いを断り弁護士への道を選んだのだそうです.

このエピソードでもうひとつおもしろいのが,フィデルはあの立派な体形にもかかわらず豪速球投手ではなかったということです.逆にカーブを主体とした技巧派の投手だったそうです.

後年の彼の言動を検討しているとついこの話が思い浮かばれて微苦笑を禁じえません.

カストロは激しい学生運動を指導しながらも、野球もやり、恋もしました。バチスタとも遠縁にあたる名門令嬢と結婚し,バチスタからは過分のご祝儀をいただいたそうです。新婚旅行ではマイアミで高級車を乗り回して豪遊したそうです。

こっらの逸話はパターソンの本からのものですが、キューバではほとんど知られていません。7,8年後にハバナの地下で闘っていたコシオ元大使も知りませんでした。

革命前のキューバ

ちょっと数字を並べさせていただきます。53年度の国勢調査報告です.

国民一人当たり所得はラテンアメリカ諸国中5位と高位を占めます.自家用車普及率は第3位,テレビ普及率ではなんと1位です.53年に日本にテレビなどあったかしら?

 暗の部分がこれまたすごい.報告によれば「都市と農村をふくめて,キューバ全体で水道があるのは住宅戸数のわずか35%,屋内便所があるのは28%にすぎない.また農村の住居の3/4は掘ったて小屋(ボイオ)に住み,54%がトイレなしで小屋掛けカワヤも持っていない」状況でした.

 報告は衣・食にも言及します.これによると97%が冷蔵庫なし,水道なしが85%,電気なしが91%.牛肉を常食するのは4%,魚は1%,卵は2%,パンは3%,ミルクは11%,生鮮野菜は1%以下という具合です.一体何を食っていたのでしょう.

 次は保健・衛生です.報告は「医師は2千人に1人しかおらず,農村の大衆は医療を受けられないことが度々ある.多数の子どもが寄生虫に感染し,ひどく苦しみ,苦痛のうちに死んでいく」と告発しています.

 それから教育.学齢期児童の就学率は56%,地方では39%にとどまります.オリエンテの砂糖地帯ではさらにひどく,わずか27%です.国民の1/4が文盲とされ,都市部以外では42%にのぼりました.

 報告はさらに続きます.「農地のうち8割が遊休地であり,なんら利用されぬまま放置されている.一方で基礎食料のほとんどを輸入に頼っている.労働可能な人口の4人に一人は常時失業している」つまりばく大な富が再生産や投資に回されないで,死蔵されたり浪費されたりしているということです.

 報告は米国に従属した産業構造にも触れます.「電力の9割以上が米国の会社によって供給されている.電話はすべて米国の会社のものである.鉄道の多くもそうである.製糖工場の4割は米国のもので,とくに優れた性能のものはそうである」

 バチスタ政権下でどうしてこのような国勢調査報告が発表されたのかよく分かりませんが,これを読めば誰でも今日から革命家になってしまいます.

4.モンカダ兵営の襲撃

モンカダとシェラマエストラの戦いについては、すでに書きつくされているので飛ばそうかとも思いましたが、知らない人も増えているでしょう。簡単に書いておこうと思います。

大学を卒業したカストロは人権派弁護士として活動を開始します。とは言ってもゆくゆくは代議士になり大統領を目指すというつもりだったでしょう。

ところがまもなくバチスタ(元軍人で元大統領)がクーデターを起こし独裁政治を始めます。民主的な方法で政治の実権を握る可能性は消えました。

そこでカストロは武装蜂起を決意します。彼は仲間を募り、53年夏にキューバ第二の都市サンチアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を襲撃しました。

百人余りの手勢で奇襲をかけるのですが、さまざまな手違いで失敗。近くの山に逃げ込みます。逃げ遅れたものは逮捕され、そのうち70人ほどが拷問の末虐殺されます。

結局、カストロも住民の密告で逮捕され警察に連行されました。この警察というところがミソで、捜査隊長のサリアという人物はハバナ大学の同期生でした。彼は軍に手渡せば即刻射殺されることを知っていましたから、軍への引き渡し命令を巧妙に避け、フィデルをサンチアゴ市警察に引き渡すことに成功します。

こうしてかろうじて命をつないだカストロですが、決してへこたれもしないし、転んでもただでは起きません。

公判闘争では弁護士がつかない中で、自らの力で弁論を行います。その文章が「歴史は私に無罪を宣告するだろう」という論文です。この論文はニューヨークで印刷され密かに国内に持ち込まれました.そして地下活動により広範に流布していきます.

こうして、カストロは「テロリスト」から「キューバ人の希望の星」へと大転換を遂げていくことになります。

5.カストロのニューヨーク騒動

これも語り尽くされた話題ではありますが、カストロの行動パターンを見る上ではだいじなエピソードを含んでいるので紹介しておきます。

カストロは国連総会出席のため、60年9月18日から10日間にわたりニューヨークを訪れています。

以下は私のキューバ革命史からの転載です

ニューヨークに到着したフィデルらは数千の民衆の出迎えを受けました.代表団は国連ビルに近いシェルボーン・ホテルに入りますが,ここで早くも大騒動が持ち上がります.亡命者らによる騒動を懸念したホテルは代表団に対し「もしもの際の保証金」を要求しました.代表団はこの「不当かつ受理不可能な金銭的要求」に激怒します.ホテルを飛び出した代表団はなんと国連本部前の芝生にテントを張ってしまうのです.結局深夜になって支援団体の紹介を受けた代表団はハーレムのホテル・テレサに移動します.ひげ面の若者たちによるこのパフォーマンスには,さすがのニューヨークっ子も度肝を抜かれました.

続いての騒動は翌日早朝にフルシチョフがホテルテレサを訪問したことです.米国と並ぶ大国の指導者が突然ウラ寂れた下町に入ったのですから大変です.そのあともホテルテレサにはナセル大統領,ネルー首相など各国首脳がきびすを接するように訪れます.いうまでもなく黒人も大喜びです.ラングストン・ヒューズやマルコムXなど黒人運動の指導者があいついで訪問します.もう大変なお祭り騒ぎとなります.

第三のハプニングは22日に起きました.アイクはLA各国首脳を招き昼食会を開きます.キューバだけが招待されませんでした.露骨な当てこすりというか子どものいじめに近い幼稚さです.カストロの奇想天外ぶりが発揮されたのはこの時です.彼はみずから昼食会を開きます.招待されたのはなんとホテル・テレサの従業員でした.もう市民はヤンヤの喝采です.

ハプニングはこれで終わったわけではありません.27日代表団が帰国の途につこうとしたとき,米国はイチャモンをつけてキューバ航空機を差し押さえてしまいます.またもや一騒動?と思ったときソ連がさっと飛行機を提供します.代表団はこれに乗り意気揚々とニューヨークをあとにするのです.

という具合で、カストロは窮地に陥ったとき奇想天外な手段を編み出して、それを果敢に実行するのです。劇場型政治家の典型です。