最近、と言うよりだいぶ前からだが、ソバをズルズルと吸い込んで食べるのが流行りのようだ。
流行りというより、それが「由緒」正しい食べ方のように押し付けられている。
元々田舎じゃ、そうやって食っていたかもしれない。米も食えなかった貧しい人たちの食い物だ。
それが江戸の出稼ぎ労働者に広がって、「江戸っ子」気取りの変な作法になったんじゃないかと思う。
だいたい「江戸っ子」というのが上品だと思うのがいけない。彼らは「下品さ」を開き直って、「貧乏なのが粋なんでぇ、無作法なのが粋なんでぇ」と強情を張っているにすぎない。
鮨だって素手でつまんで一気に頬張るし、鮨屋だって最初っからそのつもりで握っている。

昔だったら話は分かるんだ。そういう場末のこ汚い店に、上品な客が現れて鮨を箸で摘んで食べたりすりゃ、「そんな食い方するもんじゃねえ、鮨ってぇもんはこうやってつまんでポーンと口に放り込むもんだ」と言いたい気持はよく分かる。
しかし、これだけ国中に広がった食い物だ。どう食べたって文句はない。私は箸を使う。いちいちタオルで指を拭くのが面倒だし、第一、タオルがネチョネチョで不愉快だが、タオルを代えてくれる寿司屋にお目にかかったことはない。

落語にあるように、江戸っ子だってソバはたっぷりつゆにつけて食べたかったのだ。ただ江戸っ子の流儀からすれば、「そいつは粋じゃない」からやせ我慢していたに過ぎない。

蕎麦屋の講釈は不愉快なほどに理屈っぽい。そのほうが空気が絡むとか、なんだとか真顔で平気で喋る。理屈っぽいのは信州人の山家の血だ。江戸っ子から見れば、そういうのを「無粋」というのが分からないのか。

私は、断固噛み切る。つゆが絡むというのなら、ソバをズボッとつゆに漬ければ済む話だ。噛み切った残りがまた椀に戻るのが不潔だというが、マイつゆだ。串かつのソース二度漬けとは違う。
昔、小学校には必ずあおっぱな垂らしたやつがいたもんだ。昔はティシューなどという気の利いたものはないから、いい加減垂れてくると、思いっきり鼻を吸うと青い二本の紐がジュルジュルっと鼻の穴におさまる。
あの光景が思い出されてならない。
「おいおい、つゆが飛び散るではないか」