アフリカにおける人種分布
アフリカの国境はいい加減なものであり、ヨーロッパ諸国の勢力争いの結果として形成されたものである。
ほとんどすべての国が多民族国家・多言語国家であり、これらを全体として理解するには19世紀以前からの自然的分布を知ることが必須である。
自然分布を知る方法として有力なものが、言語系統(自然言語)の分布とY染色体(表現型)による分布である。
人種的な差ではないが、基本的生活スタイルとして牧畜なのか農耕なのかも大きな違いを生んでいる。
サブサハラにおいては北から順にサハラ砂漠、ステップ気候(サヘルあるいはサバンナ)、熱帯雨林というスペクトルがあり、とくにサヘルと熱帯雨林の境界が気候変動に伴って南北に変化する。これが絶えず軋轢を生んできた。
近代に入ると、イスラム教の浸透、白人とアラブ人の奴隷狩り、ヨーロッパ列強による植民地化、東西冷戦下での帰属などが加わり、事態は一層の複雑化を招いている。

上の図はウィキペディアの「アフリカの諸言語」からの転載である。
青がアフロ・アジア系言語、黄色がナイル・サハラ系、オレンジがニグロイド系、緑がコイサンである。
コイサンは最古のアフリカ住民とされY染色体はハプロAをしめす。ピグミーは北日本人と同じB、ネグロイド系はE1型を示す。ナイルサハラ系は多種多様だが、チャドではR系が優越しているようだ。
ナイル上流域の人々
私が一番知りたいのは、ナイル川上流で主として牧畜を営む人々の由来だ。ブラックではあるが、熱帯雨林域のネグロイド語族とは明らかに様相を異にしている。
私にとって典型として思い浮かぶのはケニアの牧畜民、マサイ族(Maasai)だ。またルワンダがドイツの植民地だった時代のとんでもないのっぽの国王(ツチ族)の写真は、いまだにまぶたに焼き付いている。
人種的には、北からのアラブ人、コンゴとタンザニアを結ぶ線より南の純粋なネグロイド(バンツー人)との間にもう一つ人種があって、その三つ巴で理解しないと南スーダン問題は理解できないのではないかと、ふと思っている。
というのは、ディンカ人とヌエル人との係争を見ると、マサイ族の生活スタイルときわめて類似しているからである。
ウィキペディアのマサイ族の記事を引用する。
本来は定住せず、伝統的な牛・羊・ヤギ等の家畜の遊牧で生計を立てる遊牧民であった。
主食は牛乳と牛の生血。牛はマサイ族にとって最も重要な財産である。
それぞれの村ごとに長老がいて物事を決定する原始的な長老制をとる。戦士階級であるモランはこの長老の下に属する。
かつては他部族からの略奪もモランの仕事であったが、現在では行われていない。
遊牧民もネグロイドだ
次に、人種的なところに関わっていこう。
ナイル系の遊牧民は人種的な操作の対象となり易く、地中海人種に属するとされたり、黒人とされたりし、ハム族神話 (hamitic) により「黒人より高貴である」等として植民地支配の際に分断の道具にされた。
しかし、都市に暮らすスーツに身を固めたビジネスマンのマーサイ族は他の部族と見分けることはできない。
ということで、ウィキペディアの記述では、遊牧生活に適応したネグロイドという見解に近い。
たしかに南スーダンの指導者たちの写真を見ると、ネグロイドそのものである。
このウィキの見解についてコメントするだけのものは持っていない。
一応、Y染色体ハプロで、ネグロイドにおけるE1の卓越性に相当する特徴がないことをもって差異とする主張はできるかもしれない。あるいはチャドで卓越するR系の基盤の上に南北からの侵入と混血があって、ナイル・サハラ語圏が形成されたと主張できるかもしれない。
とりあえず、この話はこれで打ち切りにしよう。
言語・文化集団としての「ナイル・サハラ語」人
人種の問題はとりあえず置くとして、最初の図の通り、言語的には明らかに「ナイル・サハラ語人」が存在する。それはニジェール川流域からコンゴにかけて分布するネグロイド語系とは系統を異にしており、両者は歴史を遡って分岐していたことも間違いないようだ。そして東アフリカのかなり広い範囲で「ナイル・サハラ語」系領域をカバーしている。
そういう点では「ナイル・サハラ人」というサブクラスを設定することは、必ずしも人種偏見に基づく「伝説」とはいえないのではないか。
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