何か、まるで青木ヶ原の樹海に迷い込んだような気分である。

自分の歩んできた道を振り返ってみよう。

最初は福井大学の先生が、「うつ病は脳萎縮を起こす。その原因はストレスから来るステロイドの過剰だ」と書いていたのに俄然疑問を覚えたからである。

電通の若き東大卒女性が過労自殺を遂げたことがきっかけとなって、うつ病の話題が日本中に満ち溢れている。

しかしそこでのうつ病の概念はきわめてあいまいで、本質的でない知見がどんどん積まされて、かえって病気の本態をわかりにくくしている。

いまは亡き諏訪望先生なら、「そんなものうつ病じゃないよ。強いて言えば第二うつ病でしょう」とでもいうであろう。

こういうふうに概念が混乱している“事象”を分析するには、うつ病研究の歴史を学んで、その中から流れをつかむのが一番だろうと考えた。

ところがやってみてびっくりした。うつ病の研究は、本質的なところではまったく進歩していないのである。

だから概念操作ばかりが進行して、それがまたさらに混迷を深めるのである。

うつ病はシナプス病だ

うつ病に関して我々がもっている知見は次の3つである。

1.レセルピンでうつ病が発症したり増悪したりする。

2.イミプラミン(商品名トフラニール)とそのデリバティブがうつ病を改善する。抗セロトニン薬もイミプラミンほど劇的ではないが類似の薬効を持つ。

3.基本的には可逆性である。自殺でもしなければ、いずれ放っといても治る。

この3つの特徴を持つ疾患がうつ病である。

今では抑うつ気分を持つ患者がすべてうつ病になってしまった。最初は「そんなものうつ病じゃない」とはねつけていた医者も、いまではすっかりあきらめてしまった。その代わり「メランコリー」という言葉を作って、そこに古典的なうつ病を格納するようになった。

ただ、そういう「気分疾患」としての広義のうつ病も、シナプスが集中する間脳に何らかの異変が生じていることは間違いないので、「うつ病は間脳病だ」とも言えるのである。

間脳病としてのうつ病についてはいずれまた触れたいと思う。

シナプスに対してもっと根底的な問いを発すべきだ

およそ神経系システムの中でシナプスほど不合理な装置はない。

有髄線維の中を情報は秒速数メートルで伝わっていく。処理すべき情報量からみても生体側の必要から言っても、「矢切の渡し」では到底間尺に合わない。

なぜこんなものができてしまったのか、なぜそれがそのまま残されてしまったのか。それはおそらく系統発生学を学ぶ中でしか答えは出てこないだろう。

これがシナプスをめぐる根底的な問いだ。

これに対する答えはおそらく2つあるだろう。

一つは間脳から先にはもともと何もなかったからだ。それがポリープのように、腫瘍のように後から後から増設されていったからそこはシナプスという渡り廊下でつなぐしかなかった。

間脳から抹消神経への構造は一体化しているが、間脳から上の脳組織とは、その間にソロリソロリと指を入れながら進入していけば、そこはすべて間隙となっていて、用手的に剥離できる構造になっているのである。

もう一つは、大脳の方から考えれば、自己防衛のためでもある。視床下部と視床は体液性の情報と神経性の情報を突き合わせる場所であるが、それは絶えざる葛藤が繰り広げられる場でもあることを意味する。

大脳としてはそのような低次元の争いとは一線を画したいから、「そちらでよく議論して、一番良い方法を決めてください。そうすれば我々としてもしっかり協力させていただきます」と、こうなる寸法だ。

「派閥争いに巻き込まれるのはまっぴらだ、クールにやらせていただきましょう」という自己防衛がシナプス結合の意味には込められている。

シナプスの海をわたるのは大変だ

神経線維を走ってきた情報は目の前に広がる海峡を見て愕然とする。

もちろんそこには定期のフェリーも走っているが、密入国者には縁のない手段である。だから密輸業者に高い金を払って決死の覚悟でわたるか、もっと金のない連中はイカダやゴムボート、浮き輪を使ってでも、藁にすがってでも渡ろうとする。

神経伝達物質が「こんなもの役に立つの?」 と言うくらい多彩に登場するのは、それだけ渡りたい人が殺到しているからであろう。

喉まででかかっている言葉が出てこないとか、そこまで来た人の名前がするっと逃げていく実感は、私にとって日常的な出来事であるが、まさにそこには助け舟が必要なのだ。