ストレス・ホルモンという概念がわからないのでグーグルで検索してみる。

東邦大学のサイトの「ストレスと脳」というページ。素人向けのページで、とっつきやすいが、。

前頭前野の働き

まず前頭前野の働きについての説明

前頭前野には抽象的な思考に関わる神経回路があり、集中力を高めて作業に専念させる役割を果たすとともに、ワーキングメモリー(計算をする場合などに情報を一時的に記憶すること)として働きます。また、精神の制御装置としての役割を担っており、状況にそぐわない思考や行動を抑制しています

ファクトがてんこ盛りだが、まとめると以下の通り。

① 集中力を高めて作業に専念させる役割 ② ワーキングメモリー ③ 精神の制御装置

一読して、この3つの役割については大いに疑問がある。まず①については、大脳そのものにモーター(駆動力)があるような記載だが。原理的にはありえないと思う。

② ワーキングメモリはおよそありとあらゆる演算装置に付設されている。大脳というのがそもそも記憶装置なのだろうと思う。一時的な揮発メモリではなくもっと過去の経験の書庫なのではないだろうか。

③ 「精神の制御装置」というのは、何やらわかったようなわからないような定義だが、基本としては本能の制御装置ではないだろうか。

そして「判断」とは過去の経験とのつき合わせ作業ではないのだろうか。そういう膨大な書庫から情報を引き出し、ゴーサインを与える装置なのだろう。

前頭葉と視床の関係

前頭葉は「先例主義」を旨とする「報告・連絡・相談」の官僚組織なのだ。視床から発せられる本能的欲求を受けて、評価しモデファイし、実行可能な計画にまとめて視床に送り返す。これが脳の構造的土台だ。

評価の結果、差し戻したり破棄したりすることもある。本能の方で「もう一度考えてくれ」ということになれば、脳の中で煩悶が始まることになる。

視床は支配権を放棄していない

ただこれは視床と前頭前野のプリミティブな関係だ。本能的欲求というのは下部からの情報を視床がいったん受け止め、それに反応して行動を起こそうとする構えである。

しかし視床の意向をいちいち評価するという形は実践を重ねるに連れ次第に形骸化する。情報は視床を素通りして大脳に集中しそこで評価されるようになる。視床は「良きにはからえ」という象徴天皇みたいになる。

だから表面的に見ると、視床は一時停車駅に過ぎなくなり、猿の時代の遺物と考えられるようになる。

しかし脳の働きを駆動するモーター、「意欲」は視床・視床下部複合体にしか存在しないのである。だから生き残りをかけた行動が迫られると、にわかに朝廷の力が前面に出てくる。


ストレスと前頭葉

ストレスは大脳皮質前頭前野に影響を及ぼし、高度な精神機能を奪ってしまう。このため理性的抑制が効かなくなり、視床下部などの進化的に古い脳領域が病的に活性化し、①不安感、②衝動を強める。

これが著者の見解である。

これにも反論がある。

どうも独立した2つの感情である不安と衝動が、一くるみのものとして把握できない。不安が衝動を生むのか、衝動が不安を呼ぶのか、ここがよく理解できない。

もう一つ、大脳がやられるから視床下部がおかしくなると書かれているが、これは因果関係が逆ではないか。

液性因子の影響をまず受けるのは視床下部→視床であろう。そのために視床が暴れだして前頭葉による統制が効かなくなってしまう、というのが筋書きではないか。

これは大脳の機能に混乱と重大な支障をもたらす。しかし最終的に大脳は視床の要求に応えざるをえないのである。

肝心なことは視床と前頭葉の間に会話が成立しなくなることであろう。そうなれば、もはや前頭葉は沈黙するほかなくなる。

最後の疑問、「コルチゾール真犯人説」にはおおいに疑問を感じる。いろいろのジグゾー・パズルを組み立ててみたらそうなったというだけの話で、場合によっては「コルチゾールが頑張ったにも関わらず、病像の進展を防ぎ得なかった」という可能性はないだろうか。

臨床的には恐ろしいほどの大量のコルチゾールをかなり長期に使うことがある。生理的分泌量など耳糞みたいなものだ。ムーンフェースになったら「ウム、効いてきたな」くらいの使い方だ。

1950年代に自己免疫疾患の特効薬として登場した頃は、ずいぶん副作用が取り沙汰されたが、いま考えれば薬効の割にはきわめて副作用の少ない薬だと感じている。

無責任なようだが、「もっとコルチゾール増やしてみたら」とさえ思ってしまう。もちろんそれなりのエビデンスもあるのだろうから、勉強したら意見が変わるかもしれないが…