この映画の恐ろしさは映画会社の宣伝しているような中身ではない。映画を見た人たちが抱いた恐怖感の中にあるのではない。

真の恐怖は、エル・クランの人々の行いが“非合法ではなかった”社会の恐ろしさにあるのである。彼らが平然と一般市民の生活を送っていたのは、かれらが狂気の人だったからではなく、ビジネスとして誘拐と殺害業を営んでいたからである。このような極悪ファミリーが、取り立てて罪悪感を抱かずに平然と社会生活を送ることができる、そのような社会の異常ぶりこそが恐怖の対象なのだ。

少し時代背景の説明が必要だろう。

記憶が曖昧になっているので、細部の間違いはご容赦願いたい。

1970年代の初頭、アルゼンチンではペロン大統領のもとで民主運動が高揚していた。しかし経済的には苦しさが募っていた。この中で軍部がクーデターを行い、親米・新自由主義の政策を強引に実行した。反対派は左翼といわずリベラルといわず片っ端から弾圧の対象となった。学生の一部は都市ゲリラ作戦を展開したが、それはカウンターテロの絶好の口実となった。

公然活動家には暗殺の恐怖が襲いかかった。地下に潜った活動家を軍・警察とグルになった「死の軍団」が追い詰め、誘拐し、拷問し、殺害した。遺体はヘリコプターで海上投棄されるか、見せしめのために街路に放り出された。子どもたちは取引の対象となった。

「死の軍団」のメンバーの多くは元軍人だったり、元警官だったり、場合によっては現職の警官だったりした。彼らは半ば公務としてこれらの任務を粛々とこなしたのである。昼は善良な警察官や市民、夜は覆面をした誘拐・暗殺犯、というシーンはある意味で日常茶飯事であったのである。

そのようにして人々を恐怖のどん底に貶める役割を「エル・クランの人々」も担っていた。つまり左翼もしくは左翼に同情的な人々を誘拐し暗殺し口をつぐませるのが商売だったわけだ。それは軍事独裁政府によって指示されていたから、その限りで“合法”だった。

内戦の頃は,夜間の外出は禁止されていました.夜,クリケットの応援歌は,しばしば男たちや女たちの絶叫で中断されました.軍隊に捕まった人たちです.彼らは拷問されたり体を切り刻まれたりしているあいだ,そして生きているあいだ,そのような叫びをあげていたのです.それは,決して罰せられることのない「死の軍団」のしわざでした.

朝になって,子供たちが住宅街の埃っぽい道を学校に向けて歩いていると,しばしば道ばたの死体と遭遇しました.それは昨日の晩,夜の闇の中で悲痛な叫び声をあげていた人たちのものでした.

J.P.Bone エルサルバドルからの便り

しかし軍政が終わり民主化運動が進むにつれそのような“ビジネス”は許されなくなった。収入の道も断たれた。だから彼らは誘拐ビジネスに手を染めたのである。軍部もこのような闇組織を維持したいから、これらの行動=殺しの民営化を黙認していたと考えられる。

彼らが左翼を誘拐し殺害することは軍部の公認であり、罪ではない。だから罪の意識は持ちようがない。彼らが間違ったのは、そのやり方は金持ちを相手にして使ってはならない手段だということを理解できなかったことである。

彼らに罪の意識はない。彼は自分を“普通の市民”だと思っている。極悪犯罪者が平然と社会生活を送っていたのではなく、彼らはちょっとやばいけれども、一つのビジネスを行っていると考えていた。

繰り返すが、軍政時代、彼らにとって左翼を誘拐し殺害することは、中身は別として、法形式的には極悪非道のことではなかった。現にそれを実行し、あるいは指示した軍の上層部はすべて恩赦法により免訴された。(後にキルチネル大統領によって厳しく指弾されることになるのであるが)

誘拐業はルーチンの政府業務代行であった。彼らの気分の中では、それがちょっとスライドして金持ちが対象に変わっただけのことである。だからパパは軍が保護してくれると確信し、逮捕されたときも平然としていたのである。

彼は人質を誘拐するとおもむろにタイプライターに向かいブラックメールを打ち始める。その用紙には左翼ゲリラMLNの名が刷り込まれている。こういうシーンが有ったことを覚えておられるだろうか。

これがまさに事件の本質であり、この映画の本質なのである。

この映画はアルゼンチンで大ヒットを達成したという。アルゼンチン国民はこの映画を見て、タイプライターの用紙にMLNの名が刷り込まれているのを見て、事件の本質を捉えたのであり、軍部をそこに見たのであり、なぜ秘密のテロリスト集団が富豪の誘拐を行うに至ったのかを理解した。

だからこの映画に熱狂し、恐怖したのである。