日本への渡来の順番。

メモ代わりに書き留めておく。

1.C1人

おそらく、この人達が最初に日本に入った人たちだろう。北方ルートで中央アジアから入ってきたC系人のうち、先発隊に属する人たちだ。

この人達は朝鮮半島経由で九州に入り、北は青森から南は沖縄まであまねく分布した。津軽海峡は渡っていない。

当然、C1人は満州から朝鮮半島にも分布していたと考えられるが、現在では痕跡を残しておらず、後発のC3人に淘汰されたものと考えられる。

*C1人先着説は、今のところ学説的根拠がない思いつきである。証明のためにはミトコンドリアDNAとの突き合わせが必要である。

2.D2人

そのあと、樺太からD2人が南下してきた。彼らもあまねく日本に分布した。

D2人はC1人を排除せず共存した。その際、C1人の持つ朝鮮半島とのコネクションは活用されたと思われる。

したがってD2人が朝鮮半島という第二のルートを経由して西日本に入ったという仮説は必要ないのである。

人口比率で言えばD2人がC1人を圧倒しているが、女性では先住したC1人の比率が高くなるであろう。ただ、現在のところY染色体のD系とC系の違いに照応するミトコンドリアDNAのサプタイプは同定されていないため、確認はできない。

3.C3人

本州以南で、D2人とC1人の共存体制ができた後、C3人が入ってくる。

C3人は中国北部から蒙古にかけて広く分布しており、武力的に優位であったとも考えられる。

北からはD2人の居住域に侵入する形で、九州からはC1人を駆逐する形で入ってくる。

あまり共存を好まない勢力であったようで(後発人種はどうしてもそうならざるをえないのだが)、C1人は本来一番多いはずの九州から消えている。

したがってC3人女性のミトコンドリアDNAは少数に留まっているはずであるが、これもハプロタイプとしては確認できない。

4.O2b人

最終氷河期が終え、O系人が東方に進出してくる(どちらから?)。彼らは中国北部のC3人を回避しつつ長江流域に拠点を形成する。O1人O2人である。

これに対し後発のO3人(漢民族)は中国北部に進出し、黄河流域を占拠する、彼らはC3人を北に押しやり、長江流域にも進出する。

当時朝鮮半島はC3人の居住するところであったが、南岸地帯にはD1人と共存するC1人が残存していた可能性がある。

O3人の圧力のもと、朝鮮半島に渡ったO2人のうち、O2b人がC1人の庇護のもとに九州へと渡った可能性がある。

これが弥生人であり、D2人との共存関係のもとで、人口を増やしていった。

5.O3人

そして最後に登場するのが漢民族系のO3人である。同じO3でも満州の方から下ってきた連中かもしれない。

定義にもよるのだが、弥生人が水稲栽培を行い弥生式土器を使用した人々だとすれば、O3人は弥生人ではない。

私は「天孫族」と呼んでいる。すでに人が住んでいるところに進出するのだから、進出形態は先住者の抵抗を暴力的に排除する他ない。

したがって、その密度には同心円状の勾配差がある。九州ではD2人、O2b人と比肩するほどの密度があるが、青森ではその6割程度にとどまる。

おそらく漢民族のミトコンドリアDNAの分布とは相当の乖離があるはずだ。

なおHammerらのデータにはN系人の出現も見られるが、技術的な問題もあると見られ、この際は無視する。

16.12.27 コメントを頂いた。とりあえずC1人に関する見解については、を参照されたい