崎谷満さんの

『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史 日本人集団・日本語の成立史』(勉誠出版 2009年) 

を通読した。

といっても、前半のハプロタイプについての概説部分のみで、後半は関心が文化、言語、歴史など多岐にわたっており、省略させていただいた。

とても要約できるヴォリュームではないが、感想的にいくつかつまみ食いしておく。

1.Y染色体ハプロタイプは以下のように大別できる

<AB人> アフリカ残留人

<DE人> 最先発人 ただしEのほとんどはアフリカに戻る。北方ルートのみ。C人に押しのけられ、日本とチベットにのみ健在。

<C人>  第二陣。南方、北方ルートの両者を通じて世界のほとんどに拡散。

<FT人> F人からT人まで、第三陣以降のすべて。

直接指摘はされていないが、2.2万年前~1.8万年前の4千年間、最終氷河期最盛期となり、この間は人類の拡散が足踏み状態にあったとされている。
このことから、FT人の拡散はその後のことか?と想像される。

2.ミトコンドリアDNAの大別

<L人> アフリカ残留組

<M人> 比較的古い時期に拡散した群。ハプロタイプでいうとMCDEGQZが相当する。 

<N人> 比較的最近に拡散した群。上記以外のすべてが相当する。ミトコンドリアの系統はどうもいまいちよく分からない。

3.北方系C人と南方系C人

南方系C人はインドから東南アジア、インドネシア、オーストラリア、オセアニアへと拡散した。

東南アジアから北方への進出はなく、インドシナ南部とフィリピンまでにとどまっている。

北方系C人はD人の後を追い東アジアに進出した。D人を駆逐し、中国まで進出。さらに台湾や南方へも拡散している。

4.北方系O人と南方系O人

O人も南方ルートおよび北方ルートで拡散している。東アジアに来たのは北方ルートである。

ここは以前勉強した説とは異なる。以前は南方ルートのO人が北方に向けて拡散したと書いた(英米で流布)が、崎谷さんはこの説に明確に反対だ。

この辺は両者がそれなりに根拠を持って書いているので、素人には判断がつかない。

ただ南方由来説は、O3人(漢民族)のUターンを前提とする不自然さが拭えない。O1、O2人が南方由来でO3人が北方由来とする折衷案も成立しうるが。

5.O1、O2人とO3人

O3人は現代の漢民族で、他種族を圧倒している。しかし長江文明の担い手はO1、O2人だった。

3つの遺跡から発掘された人骨のY染色体を分析した研究が紹介されている。

龍山文化(黄河文明)

BC2000頃

O3、O3a

長江中流

BC1000頃

O2a、O3

長江下流

BC3000頃

O1a、O2b

年代を見ても、漢民族がO1、O2人を駆逐した様がありありとする。

6.D人は樺太由来と朝鮮半島由来の二流がある

このあたりから、崎田さんの論理が少々荒っぽくなる。

周知の通りアイヌ人と琉球人はD人の要素が非常に強い。そこでもともと日本列島にはあまねくD人が住んでいて、後からO人が入ったために分断されたという考えがある。

これは間違いで、もともとD人は2つのルートで日本に入り、中抜け状態だったというのが崎田さんの主張になる。

その根拠として4点を挙げている。

*ミトコンドリアDNAのハプロタイプが異なっている。琉球のそれは朝鮮半島~九州の流れの上にある。

*細石刃文化はあるが、それを担うべきY染色体のハプロC3は存在しない。

*言語が違う

*T細胞白血病ウィルスの亜型も異なっている

率直に言ってY染色体そのもので勝負していないのが不満である。ミトコンドリアDNAの話は、Y染色体とのペアリングの問題があまりにも複雑であり、混乱を招く。

細石刃文化や言語の話は「学際研究」のいいとこ取りになりかねない。むかしのタミール語論争を想起させる。

結局、崎田さんがこの道に入り込むきっかけとなったT細胞白血病ウィルスの種差がかなり強い印象を与えているのではないかと勘ぐってしまう。

7.二経路論に対する感想

学説としては二経路論は十分に魅力的であるが、それが中抜け論になってくると、次の事実と齟齬を来す可能性はないだろうか。

すなわち、被征服(被同化)民族であるD人が、それにもかかわらず日本人人口の4割以上を占めているという厳然たる事実である。

「学際」的な考えを持ち込まずにDNAレベルだけで考えるとすれば、北方から入ったD人がじわじわと西に向かって進出して、日本列島を覆い尽くした。

西日本や琉球、さらに朝鮮半島には先住者(C1人?)がいて、これを圧倒し通婚した。それがY染色体とミトコンドリアDNAの組み合わせに変則性を与えた、と見るのが素直なのではないだろうか。