「内部留保論」の混乱について

いま日本では巨大な内部留保が積み上がる一方、国民の暮らしはますます悪化し、将来不安が増大しつつある。

このような状況を打開するためには、内部留保の過剰な積み上げをやめ、内需の拡大に向けて財を移さなければなりません。

これは社会・経済的な視点から見れば当然の視点です。しかもこの2つが一つのトレンド(新自由主義)というコインの両面をなしていること、両者にはトレードオフの関係があることも明らかです。

しかし、この間大企業側からの執拗な論争により、これらの当然の主張が途方もない妄想であるかのような雰囲気が形成されてきています。

とくにそれが「因果関係論」であるような論点のはぐらかし、企業論理が社会の論理であるかのようなすり替え、定義をあいまいにした上で正反対の結論を導き出すような詭弁が相次いでいます。

そのスペクトルは、「必要悪」的な慎ましいものから「必要>>悪」になり、最悪の場合は「必要だから即ち善」と開き直るものまでさまざまです。

そして「論争」を公正に判断する第三者のふりをした、事実上の内部留保弁護論という変化球も投げつけられています。

もちろん、肝心なのは内部留保そのものではなく、野放図に内部留保が積み上がっていく仕掛けなのであって、これにメスを入れない限り、問題は解決しません。

しかし、そのためには、国民経済的に見て内部留保の異常な積み増しが決して良いことではない、「必要<<悪」という、当たり前のことから出発しなければならないでしょう。

論争にあたっては内部留保の中核をなす当座預金・普通預金から出発するべきです。マネーゲーム的な投資である株、債券、不動産についても基本的には同様の判断をとるべきです。ファンド的展開については具体的・個別的な判断が必要でしょう。

海外資産については、租税回避問題と絡んでくるので、今後の理論展開が待たれるところです。私はこの点に関してはリバタリアン的・原理主義的な所得税・直接税論者なので、納得できる主張を期待しています。