「南スーダン」問題を勉強して

以下の記事は、限られた情報に基づく予断がふくまれているので、「そういう見方もできる」のかという程度に考えておいてください。

1.SPLAへの支持は圧倒的である。

どのくらい民主的に選挙が行われているかは分からないが、国会議員のほとんどはSPLAである。永年にわたる解放闘争を戦い抜いたSPLAへの国民の支持は揺るぎない。

勇将がいれば軍は強い。道義があれば軍は強い。民衆の支持があれば軍は強い。マチャルの部隊には武器はあっても士気がない。マチャルの反乱は程なく解決するだろう。

2.キール大統領への支持も厚いと見るべきだろう

キールについて悪い評判はない。腐敗をしていない、温厚だという評価は、この手の指導者としては稀有な資質である。ブッシュからもらったというテンガロンハットはいただけないが、「親米」であることの象徴なのだろう。

彼が有能であるかどうかは不明である。(翻ってガランの優秀さが際立つ)

ただSPLAはキールの党ではない。彼はもともと現場の人である。私が各国の革命運動を研究してきた経験から言うと、数十年の苦難を乗り越えてきたSPLAの幹部集団は相当の高水準で団結し、人民と結びついていると思う。彼らは、少なくとも短期的には大きな間違いはしないと思う。

3.現状は国内の民族対立ではないと思う

闘争が勝利に近づくと独立運動は急速に拡大し、有象無象が飛び込んでくる。しかし国家の建設は一時の熱狂で進められるものではないから、必ずそういう連中とのいざこざが飛び出してくる。

今回の問題もそういう感じがする。彼らが最初から石油の利権を狙っていたことは明らかだ。背後にスーダンがいるかもしれない。年表から見ればコルドファン紛争とマチャルの反乱は一連ととらえられる。

「これでウミを出し切って、国内は固まっていく」という楽観的な見方もできるのではないか。

4.人権屋さんの情報を鵜呑みにしないほうが良い

何人も虐殺されたとか、数十万人が難民化しているとか報道されるが、彼らは60年前から難民なのだ。

長いこと戦争しているから、殺伐としてみんな気が立っている。肝心なことは「時代のベクトル」を見失わないことである。


5.ヌエル族 はあまり品行方正な部族ではない

ヌエル族とディンカ族というが、住む場所も同じで生活スタイルも同じで、どちらも牧畜民だ。農耕民ではない。ケニアのマサイ族を思い起こしてもらうと分かりやすい。ヌエル族が20万人、ディンカ族が100万人くらいのようだ。民族というよりは氏族(クラン)だろう。

ヌエルとディンカ

ライマネ・マガジン(http://raimane.com/world/his/211/)というサイトにヌエル族の紹介がある。

人口は約20万人。隣接する同じナイロート系のディンカ族をしばしば襲撃し,居住範囲をディンカの土地へと拡大しつづけてきた。強奪が成功した暁には、ぶんどった牛の配分をめぐって、今度はヌエル族の内部で、血で血を洗う抗争が繰り広げられます。

…ヌエルはディンカを一方的に略奪してきた。ヌエルは数多くの部族の集合で、ヌエル全体をまとめる人物も制度も存在していない。このためヌエルの政治体制はしばしば「秩序ある無政府状態」とよばれ…

たしかに地図を見ると、ディンカ人社会にヌエルが侵食している様子が一目瞭然だ。

つまり、本来ヌエルの人々というのは近隣から見ると、ロシア人のように「困った連中」なのだと思う。これを予見としてマチャルを評価するのは間違いだとは思うが…

1983年、ディンカ人が主体になってSPLAが結成されると、ディンカ人以外の諸民族もこれに結集した。ヌエル族も協力した。しかしソ連とエチオピアが相次いで倒れSPLAの台所が苦しくなると、離反者が相次ぐことになる。

なかでもヌエル人の分派(SPLAナシル派)は凶暴で、1991年には有名な「ホワイト・アーミー」虐殺事件を起こしている。これはヌエル人兵士が体に虫よけの白石灰を塗ってボルの街を襲撃したもので、ディンカ人2千名を虐殺したとされる。私はこの手の報告は大体10分の1に見積もっているが、それにしても非道である。

「これを機に両民族は血みどろの抗争へと突入する」のだが、ヌエル人には道義も金もないから、やがて下火になっていく。

6.マチャルは糾弾されるべきだと思う

そこで、登場したのがヌエル人政治屋のマチャルで、ナシル派を離れSPLA「統一派」を形成する。この「統一」というのが曲者で、まずSPLAの見解である統一を維持した「新スーダン」路線を否定し、南部スーダン住民の民族自決権が合法であることを宣言した。そしてSPLAを脱退し、手兵を南スーダン防衛軍(SSDF)と称し独自行動を開始した。

このような戦闘的言動にも関わらず、1997年に南スーダンの民族自決を合法化する内容を包括したハルツーム協定が締結されると、いち早くこれに乗っていく。こうしてマチャルは武装闘争派から抜け駆けし、ハルツームの政権に加わった。

マチャルはハルツーム政府の南部スーダン国防軍司令官となり、南部スーダン調整評議会議長兼スーダン共和国大統領補佐官を務めた。しかしスーダン政府の先行きが暗いと見ると、またもや豹変しSPLAと「統一」したのである。

2005年に包括合意が成立し南部スーダン自治政府が成立すると、またもやマチャルはするりと自治政府の副大統領に滑り込んだ。

と、ここまではバルカン政治家の経路を辿って生き延びてきたわけで、ボルの集団虐殺への加担を除けば糾弾されるほどのことはなさそうだ。信用されることはないだろうが。

しかし、彼はハルツーム政府の南部スーダン国防軍司令官だったから、武器は腐るほど持っている。2013年に副大統領を逐われると、軍事行動に打って出た。12月にジュバで反乱を起こした後、翌年の1月には各地で武力行使を行い、主要な油田地帯である北部の国境地帯ユニティ州を制圧した。これが彼一人の策略になるものか、スーダンの手引があったものかは分からない。
彼は独立前にスーダンから派遣された南部軍の司令官であり、武器は豊富にある。短期戦ならかなりやれるだろう。しかし2年とは持たないだろう。旧日本軍と同じだ。

当初政府側の対応は遅れた。「国際監視」という名の干渉を嫌でも念頭に置かなければならなかったからでもあろう。ケニアと同じように、今の南スーダンは残念ながら国際援助なしに生きてはいけない。

国際世論は傲慢にも「民族間対立」という図式を煽り立て、大岡裁きをやろうとした。私はさまざまな国の革命運動でで同じような経過を見ている。

SPLAは実に粘り強く行動したと思う。ニカラグアのサンディニスタを思わせる。主要地域を奪還した上で、「耐え難きを耐え」ふたたびマチャルを政府に迎え入れた。しかし結果はなおひどいことになった。

今年7月末、キール大統領はふたたびマチャルを更迭した。前回と違うのはマチャル派の主力がマチャルとたもとを分かったことだ。マチャルは去ったが組織の幹部タバン・デンは残った。

マチャルは首都ジュバで最後っ屁を放った。270人以上が死亡する戦闘が発生した。戦闘は止まり、マチャル派はジュバを去った。(政府軍が市内で検問しヌエル人を拘束したとの情報がある。これは当然のことと思う。ジュバはバリ人の住む街であり、ディンカ人の街でもヌエル人の街でもないからだ)

もはやマチャルは国内で策動する余地を失い、スーダンに去った。(コンゴに行ったのはスーダン側の配慮であろう)

7.南スーダンは「失敗国家」とはいえない

NGOをふくめ、「南スーダンは失敗国家だ、ソマリア化する」という宣伝が行われている。

しかしニュースを注意深く読む限り、そのような結論は出てこない。

私には、南スーダンの今後が決して平坦な道ではないにせよ、スーダンとの懸案が解決され、進むべき方向がようやく明らかになりつつあるという感じを持つ。

とにかく彼らは60年間も闘い続けてきたのだ。もう少し長期のスパンで情勢判断することも必要なのではないだろうか。

願うらくは「国際機関」がパトロン風を吹かせて、国の進路を誤らせるようなことにならないことだ。ウガンダを見よ、ルワンダを見よ、立派にやっているではないか。


*だからといって自衛隊が南スーダンに居続けて良いと言っているのではない。それとこれとは別問題だ。誤解なきよう。