ずっと気になってはいたが着手しないままになっていた。

内部の力関係はおそらくケニアやルワンダと似たようなものだろうと思っていた。アフリカにおけるナショナリズムの目覚めは1960年ころだ。

この頃から域内先進国の中心部では植民地支配を排撃する運動が、種族や部族を越えた「民族」という求心力のもとで語られるようになった。

しかしそれはあくまでも都市部の知識人や組織労働者などに限られており、それが周辺部まで行き渡るのにはなお数十年の月日を要した。それは今もなお進行中であり、都市部における資本主義的(むしろ商業的と言うべきか)生産システムがいかに発展するかにかかっている。

この歩みを強引に進めようとしていくつかの社会主義的実験が試みられたが、それらはいずれも失敗に終わった。しかし精神としての進歩主義、パン・アフリカニズムはある程度は受け継がれている。

サブサハラの中では、東部の大地溝地帯はむしろ先進地帯に属する。エチオピアからウガンダ・ルワンダへと続くゾーンは比較的人口稠密な高原地帯であり、粗放ながら農業を基盤とする社会が成立していた。

ただし南スーダンはその中では激しく落ち込んだ地帯であり、ナイルの氾濫原が酷暑の中に広がる農業不適地帯である。

そこは北のアラブ世界と南の高原地帯をつなぐ結節点として意義を持っているところだと考えてよいのではないか。
率直に言えば、ネーション・ステートとしての「塊」はそこには感じられない。突き放して言えば、ルアンダ・ブルンジ並みに細切れ国家にならないと、民族国家としてのスタートは切れないのではないか、とさえ思ってしまう。 

そんな感じで、年表づくりに入ってみたい。