胸のすくような小気味良い論文である。
著者の言いたいことは、「考古学屋さんも今やノンポリでいてはダメなんだよ」ということであろう。
「全共闘」みたいな連中が考古学の都合の良い所だけ切り取って我田引水の議論を展開していて、「勝手にやっていて頂戴」と知らんぷりしていたら、いつの間にか身内にまでそういう「理論」にかぶれる奴が出てきて、連中の思想に合わせて考古学の体系をひん曲げてしまうようになった。
そこでその誤ちを正そうと思うのだが、なにせ相手は科学ではなく情緒(科学的装いを凝らしたデマ)で攻めてくるから、たちが悪い。
著者は真っ向勝負で反撃しているが、イスラム原理主義者に「イスラムの原理」を教え込もうとするのと同じで、かなり絶望的なこころみだ。ただ間違いなく反論のための基本線は提示されているから、後はそれにどれだけ肉づけいていくかの問題だろう。
多分、この論文の趣旨ではないのだろうが、事の性質上触れている部分がかなり面白い。
それは天武以来の律令国家体制がコメ栽培文化と生産力の発展の上に乗っかっているのではなく、むしろその文化の危機によって登場してきた強権的な権力だということだ。
とくにコメが寒冷に弱いということで、その北限地帯が否応なしに畑作に取り組まざるを得なかったということ。逆に新技術としての畑作が急速に発展した結果、農業前線の北進が進み、それが陸奥の縄文人との闘いを引き起こし
という経過が非常に歴史の弁証法を感じさせる。