さて、ここからが本論部分だ。思えばずいぶん長い前置きだ。

❹……………「水田中心史観批判」の問題点②               

―考古学の研究成果をめぐる諸問題

(1)栽培植物種子の分析方法に関する問題点

現在では,厳密な方法に基づく信頼性の高い栽培植物種子のデータが蓄積されてきている。

しかしながら,その一方で,依然,問題のある分析方法や,確実性が担保されない資料に基づく議論が繰り返されている。

コンタミネーションの危険性がきわめて高いと判断される事例を平然と集めて分析している例が後を絶たない。

と、著者は本気で怒っている。

(2)確実性の高い資料に基づく縄文文化・弥生文化の栽培植物の変遷

縄文時代に栽培されていた可能性のある植物はイヌビエ(縄文ヒエ),ダイズ属(ツルマメ),アズキ亜属,アサ,エゴマ(シソ属),ヒョウタン,アブラナ属,ゴボウなどである。クリを中心とする堅果類も人為的な管理が行われていた可能性がある。

マメ類がメジャーフードになっていたとする意見もあるが、それは嘘だ。(本文はもう少し上品に言っているが同じことだ)

「批判」者たちはイネ科の穀類栽培が定説になっているかのように語ってきたが、それは嘘だ。

中部地方の縄文時代晩期後葉の土器からは,多数のアワやキビ圧痕と,わずかなコメやオオムギの圧痕が検出されているが,これももっと後の時代だ。

弥生文化の水田稲作技術とアワ・キビ畠作技術は,北部九州地域の弥生文化成立期あるいは揺籃期に,ほぼ同時に朝鮮半島南部からもたらされた可能性が高い。

北部九州地域では刻目突帯文土器の夜臼式期から,近畿・中国では概ね遠賀川式土器が展開する時期から,急速にコメが食料の主体になっていく。関東では,弥生時代中期において,コメが他のイネ科穀類を圧倒する

アワ・キビはいずれの地域でもいずれの時期でも穀物栽培の主流となることはなかった。

オオムギ,コムギに関しては,そのほとんどが発掘前後の混入である。ムギ類は弥生文化においてほとんど定着しなかった。

(3)「水田中心史観批判」における縄文文化・弥生文化の農耕のイメージとの齟齬

著者は「批判者」にさらに追い打ちをかける。

当たり前のことであるが,仮に問題のある資料が100 あろうと1000 あろうと,決して「確実」にはならないし,確実性の高い1つの資料にも遠く及ばない。

不確実な資料の「可能性」にかけるのではなく,潔く議論から除外するのが責任ある科学的な態度であろう。

こうした主張をされる方々には,是非ともその根拠を明確に示していただきたい。

(朝鮮半島の)櫛目文土器文化でイネ科穀類が生産されていたことは間違いない。

しかし種子の存在=農耕技術の存在ではない。いたずらに諸分野の「水田中心史観批判」を過熱させることがないよう,冷静な評価を行っていくことが考古学者の努めだろう。

(4)前方後円墳時代~古代における農耕技術の展開をめぐる問題

前方後円墳時代では,中期以降コメ以外のイネ科穀類が増加する傾向がある。

この時期は渡来集団による新しい技術の導入が進んだ時期であり,深耕を可能にするU字形鋤鍬刃先や,牛馬飼養と組み合わさった畠作技術が定着した。

関東地方を中心に,水田に不適な丘陵や台地で集落遺跡が増加する。そこに畑作技術が導入されたことは間違いない。

紀元700年から800年代には寒冷化が進行し、飢饉があいついだと思われ、それが畑作の拡大を後押ししたと考えられる。

結論

律令国家は,水田中心の生業の起点ではなく,むしろ古代・中世以降の多様な生業の展開の起点,あるいは発展期として評価すべきだ。