いよいよ記憶の問題に入ろうと思うのだが、ためらってしまうのは記憶というのが心理学的に、あるいは哲学的に扱われており、ともすれば課題が散漫になってしまうことだ。

それはこれまでの「記憶」の探究が、いわば五里霧中の中で行われており、群盲象を撫でるのたぐいの議論が横行しているからだ。

そして哲学者(むしろ心理学者というべきか)は一冊のパンフレットから「記憶」を分類し、体系づけ、なにか深遠であるかのような言葉を用いて、おのれの「体系」に意味付けを与えるマジックの天才だ。

もちろん、中には乏しい治験の中から鋭い洞察力によって議論を前進させてきたものもあるだろうが、まずは脳科学的事実の収集から始めたほうが良いだろう。

私の興味の焦点は認知症にある。その中核症状としての記憶障害をどう把握するかを議論の中心に据えながら、少し勉強してみようと思う。

記憶障害を語るには、まずは認知症のおさらいが必要だろう。

言うまでもなく認知症は記憶障害を中核症状とする症候群である。そしてそれに続発する怒り、拒否、嘆き、合理化、錯乱、うつ、妄想などの周辺症状を大なり小なり伴う。

脳機能がさらに荒廃すれば自発性の低下、内的世界への引きこもり、意思疎通の途絶、生命意欲の喪失へとつながっていく。

後者は認知症ばかりではなく、不可逆的かつ全般的な人生の晩期症状ともとらえられ、認知症の枠組みからは外れるようにも思える。

当初はいろいろ異論もあったが、今日では認知症のほとんどがアルツハイマー病という病理学的変化に関連付けて捉えられている。したがって、少なくとも将来的には治療可能な疾患となっている。

現在では記憶障害の主役はアルツハイマーということになり、その病理学的主座を特定することで、記憶のメカニズムのキーポイントを我々は把握できた。

これが一番大事なところで、後はその他の記憶障害を特殊型ないしヴァリアントとして把握することで、人間の脳の記憶機構を立体的に構築できることになる。

だから「記憶」のシステムについて意味の有ることを語ろうとするなら、まずは記憶障害から、そしてアルツハイマーのことから語り始めなければならない。