すみません。吉見俊哉さん、どんな人かも知らずに批判していました。

ウィキペディアで肩書だけ見ると専攻の分野しか記載されていません。著書の題名を見ると、周回遅れのポストモダンみたいで正直ゾッとしません。本屋の書棚で背表紙を見ても、食指が動くことはないでしょう。
ところが東洋経済ONLINE の対談記事を見ると、東大の大学改革のコーディネータとしての活躍がメインとなっており(本人は不本意かもしれないが)、むしろそちらでの専門家として評価していくべきだということがわかりました。

もう一つ、主要な問題ではないのですが、吉見さんは最初理科1類に入学され、その後教養学部に移籍されたということで、モロ文系の人ではないということです。

以下、その対談からめぼしいところを拾っておきます。

私は副学長という立場ですが、「組長のパシリ」と自分では言っています。東大は、教育改革を進めるにも、さまざまな学部、研究科と、数多くの調整をしないと全体がまとまらない。だからこそ、誰かが調整役としていくのです…

ここ10年くらいは、大学で研究ができる生活なんて全然していません

という中で書かれたのが2011年の『大学とは何か』(2011年 岩波新書)という本だそうだ。

そういう点では「組織内調整学」の専門家という肩書が最もふさわしいようだ。赤旗での発言も、そのように受け止めるべきかもしれない。

以下は対談での発言から

1.大学は二度目の死に向かいつつある

大学は、中世に誕生して近世に一度死んで、19世紀になってもう一度誕生しています。その19世紀に再生した大学が、今、二度目の死に向かいつつある…

三度目の大学の誕生があるとすれば、それは中世の大学に似たものになるかもしれない。

2.日本の大学が抱える3つの困難

a)数的増加への疑問

終戦時、大学数は50未満であった。現在は800校近くに増えた(16倍)。若者は減りつつあるので、大学卒業者の比率はさらに高くなっている。

世間では、「この規模で高学歴人材を輩出する必要があるか」という疑問がある。

b)大学のグローバルな生き残り競争

大学は世界的にも増えています。アメリカでは4年制だけで2500校。短期も含めれば4000校といわれます。中国でも1600校近くある。

世界全体の大学数は、たぶん1万校以上ある。大学の大競争時代が始まっている。

c)学問の流動化と複雑化

知の仕組みそのものが流動化し複雑化する中で、大学という組織の定義「そもそも大学とは何なのか」が問い返されていると思います。

3.文部省の大学改革が問題を複雑にした

1990年代を通じて、文部省主導で行われた大学改革が問題を複雑化した。

大学院重点化により大学院生の数は数倍増えたが、就職先は増えていない。高学歴の専門家の専門職能が確立していないからだ。

これにより大学院のレベルが低下して来る、という負のスパイラルが起きている。

4.いま、大学の役割は

いま大学はとても重要だと思っているんです。…社会全体が方向性を見失っている中で、厚みのある「知」を身に付けて考え抜く人間 が必要です。

そういう人間をたくさん生み出す上で、大学の役割は大きい。

“厚みのある「知」を身に付けて考え抜く人間”が、その中で議論しながら、可能性や課題、解決法を見つけていくことが求められています。

間違いなく、大学はその基盤になります。

以上が私にとってはだいじなポイントだが、吉見さんはその先を見つめる。

そのために、大学は今のカタチから変わっていくことが不可欠です。問題点は、誰が大学を変えてく力になるのか、“なり手”がいなく、難しいですね。

(ネットで読めるのはここまで)


ということで、たいへん骨太な議論を展開されておられ、傾聴措くあたわざるものがある。

こういう文脈の上で、「文系廃止」問題が語られているのである。

率直に言って大学の抱える困難については理解の外だが、最後の「大学の役割」についての言葉は印象的だ。

細かく言うと3つに分かれる。

A 厚みのある「知」を身につけること

B その「知」を用いてあらゆることを考えぬくこと

C それらの人々が互いに議論すること。

これらの作業によって社会全体に方向性を指し示す

というのが現代知識人(集団)の歴史的使命だ

それを前提とするとき、大学こそがその条件を備えているのではないか、

というのが吉見さんの主張だ。

これはおそらく吉見さんの独自の見解ではないだろう。彼の大学におけるコーディネーター兼ネゴシエーターという役割から考えて、無数の人々との対話から生み出された、「知の役割」に対する見解の最大公約数なのではないか。

この主張の素晴らしいのは、大学を考える前に大学人=知識人の役割を考えていることである。そして知識人を諸個人・専門家ではなく「考えぬく集団的知識人」として把握することである。

そしてそのような「集団的知識人」を育成することが、高等教育の目標となる。

彼はその延長線上に“灯台”としての東大をイメージする。

以上のように考えた場合、「文系廃止」という発想がそもそも間違っている。知識人というのはたんなる才能(タレント)の担い手ではないからである。


それから見ると、赤旗の記事は隣の的を狙っているかのように見える。おそらくインタビュアーの力量の問題だろうと思う。