たしかに言われてみると面白い。「その通り」と叫びたいほどだ。
日本における反米運動の中核をなす人々(私を含めて)は例外なく親米だ。
建国の精神であるメイフラワー号とピューリタニズムに限りない共感を抱く。
アメリカの独立宣言と合衆国憲法を素晴らしいと思う。
アメリカの人々の地域コミュニティ尊重、個人の不羈に我々は大きな敬意を抱く。
その大きな高まりとしてのニューディール精神は戦後日本の、戦後民主主義の旗印であった。
おそらくそれは奇怪な日本型ファシズムの時代でさえも、日本人の憧れの象徴で在り続けた。
日本国憲法への日本国民の支持は、このアメリカ流民主主義への日本国民の憧憬なしには語れないだろう。
そのくらいアメリカの“良質な”民主主義思想は、今上天皇を先頭とする日本人の心を捉えている。それは思い出すさえ不快な戦前日本の非合理主義に対する対決軸を形成しているのだ。
それは日本だけではない。ベトナムが戦後直ちにフランスからの独立を宣言した時、独立宣言の文句はアメリカの独立宣言を引き写しにしたものだった。独立ベトナムほど親米思想の塊みたいな国はなかった。

現代日本の親米派は、これらの思想を毛嫌いしている。そしてこれらの思想と闘った戦前日本の非合理主義を支持し、その復活を狙っている。
戦前非合理主義とは何か。それは中国をはじめとする近隣同胞を力で服従せしめ、なにかといえば武力で解決を図り、コンツェルンのための政治を国のための政治と強弁し、貧富の差を身分の差として国民の全面的な屈服を強い、個人の尊厳などテンから無視する政治だ。
それに反抗するものには国賊の汚名を浴びせ、死罪や拷問などおよそ理不尽なやり方で抑えこむ政治だ。
これらの政治手法はアメリカ流の政治スタイルとは著しく異なる。

今アメリカの支配者たちはその非合理主義者たちを密かに支持している。なぜなら彼らは民主主義の本家であるアメリカでそっくり同じことを繰り返しているからだ。