昨日の続きになるが、

1.レーニン・スターリンが間違っていたからソ連は崩壊した

2.計画・統制経済が間違っていたからソ連は崩壊した

という非難のうち、2.の主張はかなり危うさをふくんでいる。計画経済は間違っていないという主張は今なお相当の説得力を持っているし、市場経済か計画経済かという二項対立が虚構めいていることも指摘されている。

私の印象としては、資本主義の立場に立っている人よりも社会主義を奉じていた人たちのほうがこの図式に乗ってしまった傾向が強いと思う。

とくに民医連の幹部の皆さんは、「国家の失敗、市場の失敗」というキャッチフレーズにズボッとハマって、「第三セクター」とか「非営利」論に飛びつき、なんと民医連の「綱領」にまで組み込もうとしたのである。

今日ではこの問題は既に、実践的には解決されている。両者はそもそも別のカテゴリーなのであり、両立することはまったく可能なのである。

貨幣経済を前提とする限り、さまざまな使用価値をいったん貨幣の共通尺度の上に載せた上で「等価」交換をしなければならない。

つまり、物々交換の時代に戻らないかぎり、日常の消費生活は完全に市場システムに乗っかって動いていくのである。

その上で使用価値の生産は、どこかのレベルで計画的に行われなければならないことも言うまでもない。

どこの工場でも「本日はなにを何個作ります」と決めないで仕事を始めることはない。上は政府から、下は一戸の農家に至るまで、予算と計画は必ず立てるものだ。

その際どこの企業も需要予測を立てて生産するのだが、予測通りにゆかないことがある。大抵の場合は過剰生産と売れ残りである。

もちろん天変地異で物がなくなってしまうこともあるが、これは計画のせいでも市場のせいでもない。

過剰生産になってしまう理由の多くは、生産者間の競争があるからだ。このため場合によっては需要予測を上回って生産してしまう。

ここまではごくシンプルな話だ。企業は談合によって生産を調整したり、価格を高止まりさせたりするが、それはフィクションであり、いつまでも持つものではない。

さらに相場が乱高下するならば、政府が財政出動して生産を調整し価格を安定化させる。そうして生産過剰は沈静化される。投資家は次の投資先を探し始めることになる。

こうやって「姿勢制御」システムと「フェール・セーフ」のシステムにより、生産の計画性は維持されることになる。全てをひっくるめて一つのシステムであり、それは十分計算可能であり調整可能なのだ。