フランスのレジスタンスに関する文献を探したが、重箱の隅をほじくるような文章ばかりで、「あんたの意見が聞きたいわけじゃない」と怒鳴りたくなるようなものばかりだ。

やっと見つけたのがこれ。おそらく何かの雑誌に掲載されたものだろうと思うが、山崎雅弘さんの文章「栄光のレジスタンス 祖国フランスを解放した不屈の地下組織」が、良くまとまっていて読みやすい。

これを柱にして、そのほかいくつかのファイルから、共産党系のFTPを中心に抜き出してみる。

1940年

5月10日、ドイツ軍が西部戦線で大規模な攻勢を開始。電撃作戦でマジノ線を突破。

6月14日、パリはドイツ軍に無血占領される。ソ連はフランス共産党に非抵抗を指示。各地で非共産党系のゲリラによる散発的な抵抗。

6月16日、徹底抗戦を主張したポール・レイノー内閣が総辞職。後継のペタン元帥がドイツに降伏。ドイツは北部を直轄下に置き、南部にヴィシー政府の設立を許す。

6月17日、ド・ゴール、イギリスにわたりフランス国民に抵抗を呼びかける。

7月10日、国民議会の選挙でペタンが圧倒的勝利。ドイツとのコラボラシオンを訴える。アメリカ、ソ連はヴィシー政権を承認。

10月3日、ヴィシー政権がユダヤ人迫害法を制定。

11月11日、ヴィシー政府、モントワール協定を受諾。ドイツへの物資支援を推進するもの。これに対しパリで学生5千人の抗議デモが展開される。

1941年

5月、ドイツ軍が反抗者を銃殺。これに抗議してド・カレ炭坑で10万人が参加するストライキ。

5月15日、地下のフランス共産党が、独立をめざす「国民戦線」の結成を呼びかける。

6月22日、ドイツがソ連への侵攻を開始。この後、共産党は「義勇兵パルチザン」(Francs Tireurs et Partisans francais: FTP)を組織。大衆的な武力闘争の展開を呼びかける。

FTPは山岳部ゲリラ(Maquis)とともに、ヴィシー政府の管轄地からドイツ軍の占領地域に潜入し破壊活動を開始する。

8月21日、パリの地下鉄駅でレジスタンスがドイツ兵を殺害。以後要人などへのテロが相次ぐ。

10月23日、ドイツ軍、FTPの破壊活動に対する報復として50人(うち共産党員44人)を銃殺。

12月15日、共産党幹部のガブリエル・ペリを含む100人が処刑される。国民の間に憤激が広がる。ペリは共産党中央委員で、「ユマニテ」紙の国際部長。セーヌ・エ・オワーズ県の議員でもあった。

1942年

4月、ヴィシー政権、親ナチのピエール・ラヴァルが首相に就任。ペタンは事実上の引退。これに伴いレジスタンスへの参加者が急速に増加。

9月、ラヴァル政権、南部フランス人をドイツでの強制労働に駆り出す。多くの農民が山に逃げマキに参加。

11月 米英軍が北アフリカに上陸。スターリングラードでの戦闘が激化。

11月、ドイツ軍はヴィシー政権の支配区を占領し、フランス全土を支配下に置く。

1942年末、レジスタンスへの参加者は1年前の1千人から7万人に増加。非共産党系のコンバ、リベラシオン、フラン・ティルールなども勢力を増す。

(ただしこれら3つは南部を基盤とした“闘わない抵抗組織”であった)

1943年

1月、ド・ゴール派のジャン・ムーラン、3つの南部抵抗組織の統合に成功。統一レジスタンス運動(MUR)を結成する。

1月 共産党、ドゴールの「戦うフランス」に正式参加する。

1月、フランス人のナチスト民兵団「ミリス・フランセーズ」が創設。終戦までに3万人のレジスタンス活動家を殺害したと言われる。

1月、ヴィシー政府、新たな強制労働義務(STO)を課す。

2月、スターリングラードの戦い、ドイツ軍の敗北に終わる。フランス占領軍は東部戦線への動員により弱体化。

6月 ムーランがゲシュタポに捕らえられ虐殺される。拷問にあたったのがクラウス・バルビー。

12月 9月からの3ヶ月で、709人のヴィシー政府治安関係者が殺害され、9千件の爆弾事件、600の電車脱線事件が起こる。

1944年

2月、ソ連の指示を受けた共産党・FTPが全国レジスタンス評議会に参加。フランス国内軍(FFI)に編成される。レジスタンス活動家は20万人に達する。

6月6日、ノルマンディー上陸作戦。これに前後して国内で鉄道の破壊工作が600件におよび、ドイツ軍の補給路は寸断される。

(これを描いたのがルネ・クレマンの「鉄路の闘い」で、マキのような山岳ゲリラではなく、組織された鉄道労働者の闘いであったことがわかる。CIAはこの映画にヒントを得て松川、三鷹の事件をデッチあげたのではないか、とひそかに思っている)

6月10日 オラドゥール村の虐殺。

8月 連合軍がプロヴァンスにも上陸。

8月19日、パリで共産党の一斉蜂起が始まる。共産党によるパリ解放を恐れたアイゼンハワー最高司令官は、ドゴールのパリ進攻を許可。

8月25日、ドイツ軍の降伏によりパリが明け渡される。ド・ゴールが凱旋パレードを行う。

9月2日、フランス共和国臨時政府が成立。第一次ドゴール政権がスタートする。

10月28日、レジスタンスに対する武装解除が布告される。ソ連の指示を受けた共産党・FTPはこれに応じる。


ネットを見るとどうも変な文章ばかりが氾濫している。レジスタンスは大したことはなかった、国民はヴィシー政権に満足していた、ヴィシー政権は実は愛国者だった、共産党は国民ではなくソ連のことしか考えていなかった…

そのうちアウシュビッツはなかった、ヒトラーは善人だったと言い出しかねない勢いである。

もちろんさまざまな事実に目を背けず、きちっと相対する立場も必要だが、全体を見失ってはいけない。たとえばフランス共産党の対ソ盲従をもってその闘いを否定することなどだ。

これは我々人間の主体性に関わることである。とにかく三度世界大戦を起こしてはならないのであり、三度原爆を使ってはならないのであり、そのための教訓を我々は歴史から学び取らなければならない。

あれこれと批判する人に、一番欠けているのがその視点である。あなたはいま差し迫るファシズムの危機に抵抗しているだろうか。自分の立場を明確にしているだろうか。

もしそうでないのなら、口を閉じてこの場から立ち去ってくれ。

議論は2チャンなり別の場所ですればよい。