中村平八さんというソ連研究者が、「ロシア革命、ソ連社会主義とは何であったか」と題して語っている。

不破さんの論文で、「スターリン主義」としていわば投げ棄てられた形になっている「ソ連」評価を、それにもかかわらず歴史上厳として存在した「挫折したユートピア」としてもう一度見なおしてみようということである。

いわば「ソ連の歴史学 的再評価」ということになる。

長いインタビューで、生い立ちから始まる自らの活動と研究の歩みを語っていくので、読み物としては面白いが、要点をまとめるのには結構苦労しなければならない。

この手の文章は、後ろから読むというのが一つの手である。そして気になる言葉を拾い出して箇条書きにし、後から自分流の順番付け、見出し付けをするということになる。

ぼちぼち始めますか。

最初(最後)がインタビュアーの感想。

ともすれば歴史の彼方に葬り去られたかのような、ロシア・ソ連社会主義歴史に新たな視点から光をあててもらいました。

私も改めてソヴェト史を勉強し直そうと思います。

その前に中村さんの最後の言葉がある。

社会主義という遺産は、人類の貴重な遺産の一つです。

資本主義が最善の社会経済システムである、と考えている人は少数です。

資本主義以前にもさまざまな形態の社会主義はあった。キリスト教の修道院や共同体づくりは社会主義(共同体主義)の実践であった。

資本主義のもとで生まれた近代杜会主義は、それ以前の時代の社会主義と質的に区別される発展を遂げました。

ロシア革命の客観的・歴史的意義

ロシア革命の客観的・歴史的意義は二つある。

社会主義の実現をめざす政治結社、つまりロシア共産党が国家権力を握ったこと

②実際に、発展途上社会主義(従属的社会主義)の建設が始まったこと

その前の発言は中国に関するもので、この際省略。

中村さんの本で「ソ連を殺したのは誰か」という本があるらしい。その本のさわりに触れた部分がある。多分このインタビューの核心部分であろう。

経済システム(計画経済)から見たソ連崩壊

ソ連が潰れたことは間違いないし、「それは体制が行き詰まったからだ」というのも間違いない。

しかしその「体制」というのは何か、政治的なものか経済メカニズムを指すのか、そのあたりは混同されているのではないか。

もし政治的なものであるなら、ソ連が崩壊し中国が生き残った理由は説明できない。同じように専制的なものだからだ。

経済システム(計画経済)から見れば、ソ連体制の崩壊は明らかにゴルバチョフ時代の改革が引き金になっている。

プレジネフ体制、スタ-リン体制下での生産力(経済パフォーマンス)は決して悪くない。したがって「ソ連を殺したのはゴルバチョフ(改革派)だ」ということになる。

したがって、中央計画経済や統制・指令経済の是非についてはソ連とか社会主義とかをいったん離れて、「そもそも論」として議論しておかなければならないだろう。

計画経済と統制・指令経済

計画経済と統制・指令経済は切り離しがたく結びついている。統制なしの計画経済はありえない。計画なしの統制経済もありえない。

鞭で殴りつけて、奴隷などの強制無償労働で、ピラミッドの建設ができるなどとは、とうてい考えられません。

計画経済(指令経済)はマルクスが考えたものではない。20世紀のソ連や中国で初めて実施されたものでもない。資本主義以前からさまざまな形で実施されてきた。

計画経済についての筆者の見解

計画経済は十分に実施可能だ。それは数多くのビッグ・プロジェクトで実証されている。ランゲ=ハイエク論争で理論的にも確認されている。

ただし経過中のデータの繰り込みと微調整(とくに欲望の創出)は必要で、その限りにおいて市場メカニズムも有効である。しかしそれを社会主義計算の不可能性の論拠にするのは間違っている。

ソ連経済70年の実績

ついで話はソ連経済の実績に移る。

ソ連経済は、革命直後の国内戦、第二次大戦期間を除きすべてプラス成長です。計画的指令経済の長所であり、成果です。

80年代に入って成長速度は鈍化したが、アメリカの公式発表で年平均2パーセント、ソ連の発表で2.5パーセントでした。マイナス成長に転化したのは90年と91年だけです。

ソ連経済崩壊の要因

どうしてマイナスになったか。

ゴルバチョフ時代末期、連邦が何を言っても資源はウクライナのものだ、 連邦の憲法よりロシア共和国の憲法が優越する、こういった分裂が起こり、連邦全体の産業運関が共和国ごとに分断され、生産の停止あるいは縮小が起こりまし た。そこで各共和国の経済はすべてマイナス成長となり、その総計のソ連経済もマイナスになったのです。

中村さんは、その背景としてゴルバチョフの「行き過ぎた政治の自由化」、「急ぎすぎた市場経済の自由化」をあげる。

ゴルバチヨフは、「規制された市場経済」を導入し、経済成長の回復をはかるべきでした。同時ににノメンクラトゥーラ(党国家官僚)、とりわけ経済官僚の力を削ぎ落すべきでした。その後に言論・集会・結杜の自由、市民的自由、政治的自由などを実現すべきでした。

これについては、判断を留保する。

政治の崩壊が先

もう一つ、中村さんの強調するのは、経済が悪くなったから崩壊したのではなく、崩壊したから悪くなったということだ。この辺は、「まぁたしかにそうも言えるが」というレベルではあるが、事実としてはそうであったことも間違いなさそうだ。何から何まで社会主義のせいにするのは、ためにする議論かもしれない。

ソ連邦が消滅すると、各共和国の経済は、「粗野な市場経済」のもとでますます悪化して行きます。ロシア連邦の大統領エリ ツィンは、市場経済への移行を目指して若い新古典派の経済学者を登用しますが、経済は悪化するばかりでした。

ロシアの場合、89年を100として99年には50くらいまでGDPが落ちました。国民経済の規模が半分になったのです。これは大変なことです。