いろいろ読んできてどうやら感じがつかめてきた。
自然主義派というのは軟派なのだ。左派でも右派でもなく軟派なのだ。左翼運動が高揚すればそれに潜り込んできて、過激だが訳のわからないことを言って、情勢が厳しくなればさっと消えていく連中だ。
運動の最初から居る人間にはそんなことはお見通しだが、後からくる人にはよくわからないから、目立ちたがりのそっちの方が左翼の主流であるかのように勘違いしてしまう。口だけは達者だから中には中枢にまで上り詰める人も出てくる。
それが大逆事件に至る日露戦争後の反動のなかで左翼扱いされて弾圧の的になると、「ごめんなさい。悪気はないのですから」とひたすらかしこまってしまう。
しかし真の左翼はとうの間に弾圧され消え去っているから、不満を持つ若者はそれにしがみつくしかない。しからばそれらの若者を含めた自然主義派を、それなりにカヴァーしていくのも大事なことなのかもしれない。
それが魚住さんの立場で、啄木はそれに異議を唱えたわけだ。
啄木の議論はかなり生硬だが、自然主義をどう評価するかなんて議論はもうやめて、「青年の未来をどう切り開くか」という本筋の議論をしようと呼びかけている。その限りではまっとうだ。
おそらくその点では魚住さんも異議のないところであろう。
ただ残念なことに啄木も魚住さんもみんな30前後で早死してしまっている。いたずらに馬齢を重ねて古希にならんとしている私には、半ば慚愧の思いである。