「初期マルクスにおける労働価値論の拒否について」 大澤 健

という面白そうな文献があったので読んでみた。

初期マルクスの労働価値論の形成過程を考察する上で最も大きなトピックスは,当初マルクスがこの理論を拒否していた点にある。

のだそうだ。具体的には、「経済学・哲学手稿」と「ミル評注」で、ここでは労働価値論は拒否されている(あるいは受容されていない)

労働価値論の明確な受容が確認されるのは1847 年の著作である『哲学の貧困』段階である。

すみません。知りませんでした。

大沢さんはいくつかの例証を上げているが、ここでは省略。

ここまでは「周知の事実」らしいが、ここから大沢さんの議論が始まる。

労働価値論の受容を「未精通→精通」として解釈することにはいくつかの問題点が存在している。

というのが大沢さんの言い分。大沢さんは以下の三点を「問題点」として指摘する。

1) マルクスはすでにこの時点で「国民経済学」を評価している

マルクスは国民経済学が「富の主体的本質」としての労働を発見したことを「開明的」であると高く評価している。

にも関わらず、古典派の労働価値論を採用しなかった理由は「未精通→精通」解釈では明確にはならない。

2)受容に至る時期と他の思想変容との相互連関が説明できない

フォイエルバッハの賞賛から批判へ、疎外概念の辺縁化、唯物史観の確立という3つの思想的激変と関連付けることができない。

3)マルクスの労働価値論の独自性が説明できない

「未精通→精通」論では、マルクスが古典派理論をどのように「批判的摂取」したのかが明らかにならず、マルクス労働価値論の独自の意義が明確にならない。

初めて知ったのに偉そうなことは言えないが(といいつつ、言ってしまうのだが)、感じは分かる。

アダム・スミス的な言い方であれは文句無しに受容できるのだが、リカードが変にいじって労働価値を相対的なものにしてしまうことに違和感を感じたのだろう。

この辺については、前の記事で書いたとおりだ。たしかに私も違和感を感じる。

この違和感を、積極的な方向でふくらませていく中でドイツ・イデオロギーが生まれたと解釈することもできる。

そこから生まれた確信は「労働こそすべての価値の源である」という歴史貫通的な原理である。

この確信は、実はリカードには意外とないのだ。だからリカードは価値論をめぐって結構揺れる。例外が出てくるとそれを原理にもとづいて処理するのではなく原理を変えてしまう。

あまり語るとボロが出るので、原文に戻る。

労働価値論の拒否から受容への転回は,古典派への精通の結果として生じた単純な受容なのではなく,マルクス自身の社会把握の方法の発展によって生じていると考えるのが本稿の基本的な立場である。

というのが結論。

ついでもう一つの問題が提示される。疎外論の辺縁化と労働価値論受容の関係である。これが鏡の両面なのか、並行して行われた別作業なのか。両者に因果関係はあるのか、という話題である。

これについては別記事とするほうが良さそうだ。