ネットを検索していて面白い文章にあたった。

中国領海法制定過程についての再検証 

副題が-「尖閣諸島」明記をめぐる内部対立-

という論文で、著者は西倉一喜さんという人。当時、共同通信の北京特派員として現地で取材し報道した人である。

「龍法 '15」となっているので、おそらく2015年に龍谷大学の学術誌に発表したものであろう。

長い文章なので出だし部分だけ紹介する。小見出しは私のつけたもの。

はじめに

この論文は1992年2月に中国で成立した「中華人民共和国領海および接続水域法」の成立過程を再検証したものである。

事実関係の骨格

中国の外務省と軍部の間で尖閤諸島(釣魚島)の明記をめぐって対立があった。

国務院(日本の内閣に相当)の外務省の草案には尖閤諸島は明記されていなかった。これに対し軍部は島名の明記を要求した。

最終的に軍部の主張が通り、外務省作成の草案が修正された。

また領海法は、領海を侵犯する者に対し、実力行使に訴えても排除する権限を軍当局に与えた。

以上の経過を把握した筆者は記事として発表したが、これが現在も唯一の情報となっている。

取材の経緯

1992年はどういう年だったか

1992年2月25日、全人代常務委員会は領海法を全会一致で採択した。1992年はどういう年だったか。

①天安門事件を契機とする対中制裁包囲網の突破の試み、

②鄧小平の南巡講話による改革・開放路線の再加速への撒、

③冷戦崩壊にともなう共産主義イデオロギーの効果消失とナショナリズムの台頭、

④中ソ(ロ)和解による中国の軍事政策の内陸から海洋への重点移動、

(と、筆者は書いているが、一般的には、これらは未だ兆しに過ぎなかったと考えるべきであろう。時代には文革と天安門後の挫折感、沈滞感が色濃く漂っていた。この中で、上の4つの方向を目指して模索し呻吟していた年だったと私は考える)

黄順興・全人代常務委員の情報

西倉さんは領海法の背景を知るために全人代常務委員の黄順興と接触した。黄は台湾で統一派として活躍した後大陸に移り、台湾を代表する全人代常務委員に選ばれた人物である。

西倉さんは黄から内部文書を提供された。

これは「領海法(草案)に関する中央関係部門と地方の意見」と題されたもので、全人代常務委員会弁公室秘書局が作成したとされる。

作成の日付は92年2月18日となっており、機密扱いに指定されている。

西倉記事の見出し

この文書と黄の説明を元に、西倉さんは記事を作成し、2月27日付で発信した。見出しは下記の通り。

主見出し

尖閣諸島は中国固有の領土、中国政府が領海法に明記、

脇見出し

侵犯には武力行使も辞さず、日本との紛争発生の恐れも

サイド記事見出し

対日政策の運営困難、尖閣で軍と外務省が対立

解説記事見出し

保守、改革派の対立表面化

開放路線への反発か、中国領海法

というものであった。ほとんど見出しだけで言い尽くしている感もある。
これだけ見ても、いかに西島さんと共同通信本社がこの記事を重要視したかが分かる。

内部議論の動向

以下内部文書の細部の検討に入る。

草案2条(台湾の付属諸島)をめぐる議論

草案第2条は台湾の付属諸島を列記した箇所。草案では釣魚島が抜けていた。東沙群島、西沙群島、南沙群島は草案段階でしっかり入っている。

この草案に軍事委員会法制局が噛み付いた。これに総参謀部弁公庁、海軍司令部が同調した。各地方の一部代表も加わった。

法制局は「この問題で少しでも暖昧なところがあってはならない。立法化を通じて問題を明らかにすれば、今後の日本側との談判の中で、われわれは主導権を握ることができる」と主張した。

外務省は、「釣魚島は台湾の付属諸島とみなされる」としつつ、領海法には明記せず、「その他の方法」で釣魚島に対する主権を主張すべきだとした。

その理由として、「われわれは一面で領土主権を防衛するとともに、もう一面で外交上の摩擦をできるだけ減らさなければならない」と主張。

とりあえず日本との矛盾衝突を避け、有利な国際環境の確保に努めるよう提起した。

孤立した外務省

こういう論争で、外務省が勝てるわけがない。外務省はこう言うべきだったのだろう。「尖閣=釣魚島の帰属については日本とのあいだで係争中であり、互いに言い分がある。中国固有の領土と明文化するのは、両国関係から見ても好ましくない」

外務省は孤立し、軍部の要求に全面的に屈した。

以下略


この文章から分かること

1.政務院・外務省と軍は対立の構図にある

2.軍の志向は開放路線にタガを嵌めることにある

3.軍は排外主義のラインで動いている

4.本気でケンカすれば軍の方が強い

ということだ。

ただ、むしろ重要なのはこの「対立」が生まれたのが、91年から92年の初めにかけてだったということであろう。

中国は国のあり方をめぐって重大な分岐点にあった。それは天安門事件により先鋭化し指導部の中にすら亀裂が走った。

それが鄧小平のプラグマティックな路線でいわば糊塗されるのだが、深部の亀裂はそのままに残された。

軍は治安出動により「国を守った」という自負があるのだろうが、それで「中国革命は守られたのか、社会主義は守られたのか?」という深い問いがある。

天安門事件後の経過の中で、軍はますます強権への信仰と排外主義への傾斜を深め、それを社会主義と強弁することにより自らの存在価値を主張してきた。

つまり領土・領海の議論は、軍の“歪んだナショナリズム”の露頭なのである。軍にとってそれは天安門の評価に遡って、原理的に譲れない一線となっている。

党指導部は、軍の規律強化という形で整頓を図っているようだが、それは“歪んだナショナリズム”を一層強化する方向で働く可能性もある。

向こうが「原則」で来るなら、こちらも原則で対抗しなくてはならない。大事なことは、中国共産党が「万国の労働者・被抑圧民族は団結せよ」というプロレタリア国際主義の旗を一層高く掲げ、目指すべき社会主義の実を示すことではないだろうか。(もちろん天安門の評価そのものはいずれ避けて通れないだろうが)