G 貨幣による人間の支配

第21→25パラでは、「活動の相互補完関係」の国民経済的現れが考察される。

交換の発展に応じて、労働は「営利労働」に転化する。

営利労働は人間の社会性が喪失することを意味する。それは私的所有下における社会的力の増大に比例して進行する。

私的所有下においては、生産物の相互補完が交換取引として現象する。これに応じて、活動それ自体の相互補完は、労働の分割(分業)として現れる。すなわち人間の労働の統一性が分割として反対物として現象する。

それは正に「社会的本質存在」がその反対物としてしか定在していないからである。

生産物はますます等価物という意味を持ち、等価物は等価物としての自己の実存を 貨幣という形で獲得し、遂に貨幣が交換の仲介者となる。最後に、この交換の仲介者としての貨幣において、疎外された事物の人間に対する完全な支配が出現する

読 解: このあたり、マルクスは概念が固まっていないために言葉が踊りもがいている。言葉は難しいが、それ自体は別に難しい話ではない。要するに生産物の相 互補完が私的所有の出現にともなって交換取引という行為に形態を変える。交換取引は分業をもたらす。ところで分業というのは活動の相互補完(平ったく言え ば任務分担)ではなく、労働の取引(計り売り)であり労働の商品化である。

H 資本の研究に向けてのスケッチ

第27パラ第一評注の最後のパラフレーズである。ここでは範疇展開に関するスケッチが示されている。

労働の自己自身からの分裂=労働者の資本家からの分裂=労働と資本との分裂。これは同じ現象の3つの側面である。

資本の本源的形態は、土地所有と動産とに分割される。

私的所有の本源的規定は独占である。それ故、私的所有は独占の政治的憲法である。

独占(私的所有)は競争でもある。それは様々な個人の間での、亦同一の 個人の中での生産と消費の分裂、活動と享受との分裂である。それは労働の対象並びに享受としての「労働それ自体」からの、「労働」の分裂を意味している。

これらの分裂(賃金と利潤の分裂)は、自己疎外をして自己疎外の姿態で現象させると共に、相互的疎外の姿態で現象させる。

読解: 下から2番目の段落がやや難しい。「労働それ自体」からの、「労 働」の分裂というのは労働過程論を念頭に置けば分かりやすい。「生きた労働」というのは二重構造である。ひとつは目的意識である。あるものを別のあるもの に作りけることによって、そこから果実が得られる。そのための目的を持つのが「生きた労働」である。もう一つは労働の三要素と言って、労働には労働対象と 労働手段が必要でこれに「労働そのもの」を付け加えることで成り立っている。

だから目的を剥奪され、対象も手段も失った「労働そのもの」は丸裸ののっぺらぼうの労働なのである。

I 大石高久さんによる第一評注の総括

ミルの『経済学綱要』は、生産-分配-交換-消費の篇別構成になっている。生産論で考察されているのは事実上生産一般である。そして分配論で賃金、利潤、地代が論じられる。

従って、その分配論は生産論から内的、必然的に展開されたものではない。

これに対してマルクスは、生産の必然的帰結として分配を展開・説明しなければならないと考えた。

マルクスは「分配は私的所有の力である」と考えた。そのため、「疎外された労働」(労働の対象並びに享受としての労働それ自体からの、労働の分裂)によって「生産と消費の分裂」が生まれること、そこから「分配」問題が生じることを説明しようとした。

つまり、マルクスはミルの生産-分配の篇別構成に対して、資本の生産過程-資本制的分配(=交換)過程という編別構成を考えついたといえる。