E 共同的存在と、その疎外された形態

第9パラで、マルクスはいったん経済学を離れて原点(人間の哲学)に立ち帰る。そして今の世を人間的本質が疎外された社会だとしたうえで、そこからの克服を「みずからの経済学」の基本任務と定める。

マルクスは言う。

人間の本質は共同的存在である。そのあり方は社会的である。

生産の過程での人間活動も、その生産物の相互交換も類的(共同的)活動である。その現実的なあり方は社会的活動であり、社会的享受である。

②人類の前史(今もなお前史)にあっては、人間が自己を人間として認識しておらず、従って世界を人間的に組織していない。

その間は、共同的存在は、疎外の形態で現れる。何故なら、人間が今もなお自己疎外された存在であるからである。

人間が自己を疎外し、疎外された人間が社会を形成することは、真の人間的生活のカリカチュアである。

読解: ①は正しい。②は突き放して言えば「信仰告白」にすぎない。唯物論的に言えば人間の世界に前史もへったくれもない。すべて本史である。便宜的に前史ということはあるが、それは我々が歴史として認識するだけの材料を持ち合わせていないからだ。

とりあえずは「共同的存在は、疎外の形態で現れる」という言葉について、「原始共同体」(正確に言えばその理念)との対比において受け入れた上で話を進めよう。