ベネズエラの政治危機

これまでのかんたんな経過

2002年のクーデターとその失敗、2003年の資本家スト、2005年のリコール投票と相次ぐ資本家の攻撃に耐え、民主主義を達成したチャベス政権は、その後の原油高を背景に中南米変革の旗頭となった。

南米諸国連合(ウナスール)は、各国での度重なるクーデター策動を封じ込め、アメリカを孤立させてきた。

しかしベネズエラ国内では反チャベス派の勢いがおさまらず、政権内の腐敗も発生したことから政権基盤は徐々に脆弱化し、ついに議会では野党が優位を占めるに至った。

チャベスが前立腺癌で死んだ後、副大統領のマドゥーロが後継者となりチャベス路線を継承してきたが、原油安不況の状況は政治環境を激変させた。

これを機にネオリベ派は一気に政府転覆を狙い、一方では生産サボや物資隠匿などの経済闘争、他方では大統領リコール投票の実施要求により政権を追い詰めようとしている。

国外ではアメリカがベネズエラを米州機構から追いだそうと画策し、事務総長はその先頭に立って反政府派と手を結んでいる。

危機の経済的背景

ベネズエラの経済が楽なわけはない。原油はベネズエラの輸出額の96%だ。原油価格が半分になれば、歳入は半分になる。格付けが下がれば為替価格は低下し購買力はさらに落ち込む。

基礎生活物資のほとんどを輸入に頼るこの国では、それはそのまま物価の上昇に繋がる。生産原料の輸入が止まれば生産は減退する。

これに異常な降雨不足が拍車をかけた。水力発電が止まり、厳しい停電を余儀なくされた。

世論調査でマドゥロ政権への支持率は20%、不支持率は67%となっている。不況の中での国民の怒りをマドゥロが一身に背負っている感がある。

マドゥロ政権は必死に活路を見出そうとしているが、通貨ボリーバルが三通りもある為替相場のもとで、ベネズエラ経済は国際的信頼を失っており、長期の維持は不可能となっている。

ただ、ひとつコメントしておきたいのは、悪名高きガソリン補助金の廃止に着手したのは、マドゥロ政権が最初だということである。

厳しい実力闘争

米国の支持を受けた反政府勢力は、ふたたび大統領リコール運動をはじめた。そして大企業による生産サボタージュを強化した。生活必需物資の9割は民間企業が支配しており、物流阻止、物資隠匿などが横行している。

政府は軍を出動し、主要5港を管理下に置いた。倉庫からは大量の食料品や薬品が発見され、供給に回された。

政府はさらに生産を停止させている工場を接収し、産業活動を止めている企業経営者の逮捕を命令した。しかし状況の好転は見られない。

アメリカではベネスエラ中央銀行の支払い用口座(シティバンク)が閉鎖された。「ベネスエラ経済の危機によるリスク増大」としている。

反政府デモは暴力性を強めつつある。指導者カブリーレスは軍に対し「憲法と政府のどちらの味方をするのか」と問いかけた。これはクーデターの呼びかけとも取れる。

米州機構は人権を口実にした攻撃を強め、12月までにリコール投票を実施なければ「米州民主憲章」に基づいて加盟資格を停止すると脅している。

アルマグロ事務総長は「(リコール投票は)12月以前に実施されるべきだ。実施されないと、ベネスエラ人民が意志表示する可能性が出てくる」と発言している。

かつてチャベスの下でラテンアメリカの変革を主導したベネズエラは、今や満身創痍の状態となっている。だが、依然として耐えている。