大阪人のアホぶりは異常だ

大阪における改憲派の4議席独占という結果にはさすがに衝撃を受ける。我々の若いころは自民党が4議席独占というと九州の南部や西部くらいだった。これに対して京都は革新を代表し、大阪は多様性を代表した。

いまや大阪は日本における政治反動の最大の拠点となった。かつて大阪は日本経済の原点であったし、文化的にも、東京に対してもう一つの日本像を提示する発信地であった。その大阪と大阪府民の政治精神がここまで劣化したことに背筋の寒くなる思いがする。

大阪の文化は「面白い」ということに最大の価値を置くことによって形作られてきた。「面白い」ということは直感的であり、人間的であり、したがって反権力的であり革新的であった。多少泥臭くても虚飾のない率直さが共感を呼んだ。それが大阪文化の真骨頂であった。

それを支えたのは大阪人の旺盛な食欲であり、好奇心であり、進取の気性であった。与謝野晶子も小松左京もそうやって人々の支持を得た。

それがどんどん地盤沈下し、東京に絡め取られて支店経済化していく中で「面白さ」の有り様は歪められ、薄っぺらなものとなり、から騒ぎの刹那的な「面白さ」に取って代わられるようになった。黒田革新府政の後は西川きよしが国会議員に、横山ノックが府知事に連続当選する。多分「面白い」からであり、府民が「面白い」と思ったからであろう。

そして最後にたどり着いたのがルンペン的なヤクザなギスギスした「面白さ」である。それが維新であり、橋下であり、関西テレビの「そこまで行って委員会」である。朝鮮人をいじめることを面白く感じ、世間の良識に反抗して日の丸を掲げて右翼のふりをすることを面白いと感じ、橋本流の無茶苦茶の論理で府政を引き回すことを「面白い」と感じるようになっていくのである。

トランプにはトランプを支える愚民がいるように、橋下には橋下を支える愚民がいるのだ。

彼らの「面白さ」はきわめてブラックである。強いものには逆らわず、生活保護者や宿なし生活者、老人や女性などの弱いものをいじめることで得られる快感である。そのことで一時、彼らは自らが強者であるかのような幻想を抱くことができ、それが快感につながっているのである。

この「面白さ」は明らかに異常な精神的土壌に根ざす快感である。物事をまじめに正面視することができなくなり、万事が「お笑いネタ」となり、正邪の判断ができなくなっているがゆえの快感である。そして悲惨なことに、そうすることで彼らは自分自身が「お笑いネタ」となっていることに気づけなくなっている。彼らの「ハシズム」は大阪の県境を越えた向こうでは通用しない。「六甲おろし」はトラキチの微笑ましい乱痴気騒ぎ以上のものではないのである。

タイガースとバファローズが両リーグの最下位をひた走るのもそのせいではないか、と思う。 もののあわれを感じる今日このごろである。