7月7日の赤旗に注目すべき記事が掲載された。

見出しはこうなっている。

反共・反野党の攻撃に答える
甲府・横浜 不破前議長の街頭演説(要旨)

藤野発言で逆ねじを食らって、自衛隊をどうするのかの議論が避けて通れなくなった時点で、発表されたものだ。

この記事のリードはこうなっている。

不破哲三前議長は、甲府市(5日)と横浜市(6日)での街頭演説で、安倍晋三首相と自民党の反共・反野党の攻撃に痛烈な批判を加えました。その要旨を紹介します。

こんなことは普通はしない。二つの演説の報道記事そのものでは、こんなことは喋っていない。これは間違いなく不破さん自身が筆を入れて整理した文章だろう。「前議長」という肩書もあまり聞いたことがない。

最大の論点は自衛隊問題だ。基本的にはこれまでの見解を踏襲したものだが、いくつかの注目する論点がある。

1.自衛隊と憲法9条との矛盾の問題は、もっとも大きな問題の一つである。

なぜならアメリカとの軍事同盟という9条に背く道に踏み出して半世紀が経ってしまったからだ。

このほかにも、長く自民党政治が続いてきた結果、憲法に合わない現実が多くある。

将来、革新的政府ができた際は、こうした現実をただすことが、大きな課題となる。

2.問題は一気に解決はできない

一つにはそれが軍事同盟という国家機構のあり方そのものに関わっているからだ。

もう一つはアジアの情勢が軍事的対決の危険もはらむ中で、対応しなければならないからだ。

したがって、まずは積極的な平和外交を進め、平和で安定した国際環境を自らつくり出していくことが必要だ。

その上で、日本自身が憲法9条を真剣に守る立場を明らかにすることが基本であり、これらの点については国民が一致しうる方向だろう。

3.自衛隊の段階的縮小から廃止へ

以下は、不破さんの言葉をそのまま書き写したものである。

そのなかで、国民の合意のもとに、自衛隊を段階的に縮小して憲法の完全実施に向かってゆく。

率直に言えば、「国民の合意のもとに」はいらない。当たり前だ。

「段階的」もいらない。一度にできるわけはない。「憲法の完全実施に向かう」というのはどういうことか。文脈で見れば、「自衛隊をなくす」ということになる。

これは現実の国民の中での「自衛隊=役立ち」評価の姿勢とは、やはり平仄が合わない。「役立ち」を評価するなら、その方向での自衛隊再構築という流れにならないと論理が詰まる。

そこで「自衛隊をなくす」と言わないで、「憲法の完全実施に向かう」と含みをもたせているのが、不破さんの発言の最大のポイントであろう。


4.個別自衛権の問題が避けて通れない

ここから先は、不破さんとはまったく関係のない私の個人的な思いつきである。大した根拠もないから、あまり気にしないでください。

A.個別自衛権と正当防衛権との関係

自衛隊というのはたしかに戦力であり、いざとなれば闘い、殺しあうことになる。

ただそれは文字通り「敵の出方」次第である。敵がむやみに撃ちまくってくるならば、正当防衛権を行使してこれに対応するのは人権に属する問題だ。

歴史的には難しい問題もあるのだが、戦後70年の中で国民大多数が個別自衛権を憲法違反とはせず、裁判所も事実上それを追認して来たという経過がある。

それをすべて米日反動のなせる工作としていても、事は進まない。

B.個別自衛権と安保体制との関係

もう一つ、個別自衛権を認めないということが安保とセットになっており、米国の軍事力の下に留まる最大の根拠になっている。これは今の憲法が成り立つ国際法的基盤でもある。

護憲・平和を貫けば貫くほどに日米安保は不可避のものとなる。これは平和運動のジレンマである。

それは60年安保の時は「戸締まり論」として議論の焦点となった。しかしその例え話は米国における銃砲規制の議論とガチンコするわけで、おたがい違う次元のことを想定しているから、すれ違ってしまう。

立憲的原理として個別自衛権は認めた上で、とりわけ憲法前文の精神と突き合わせながら、憲法9条の扱いを決めていくしかないのではないだろうか。

5.自衛隊の現状は違憲状態

専守防衛、自衛権の確保という自衛隊創設の理念を認めたとしても、それとはあまりにかけ離れた自衛隊の実態がある。

まずもって、自衛隊の違憲状態への厳しい指摘が必要である。現在の自衛隊は決して専守防衛に徹した立憲主義的な組織とはなっていない。ハード的に言えば、専守防衛という枠を越えた装備、指揮系統が日本政府と米国統合参謀本部の二系統にわたる問題がある。過去の大日本帝国陸海軍への傾倒は目に余るものがあるし、政治的中立の原則、人権尊重も順守されているとは言いがたい。エトセトラだ。

これらを考えれば、現在の自衛隊を理念的にポジティブに捉えることはきわめて厳しい。理念としての個別防衛権の是認と、現実の自衛隊の受容ということの間には、なお大きな隔たりがあると言わざるをえない。

自衛隊のまるごと承認を踏み絵とするなら、それには断固拒否の姿勢を貫かざるをえないだろう。

6.国政変革の大目標と自衛隊評価問題との関係

以上を踏まえて、自衛隊問題の解決方向をスローガンとして掲げるなら、次のようになるだろう。

自衛隊は憲法の趣旨に従って専守防衛とし、それと同時に安保条約を非軍事的なものに変えていく

このように考えると、当然9条への抵触が問題となる。「国権の発動たる」という表現、「国際紛争を解決する手段としては」という表現を最大限に読み込むことになるが、「抑止力の保持」はぎりぎりクリアーするのではないだろうか。「憲法の趣旨」というのは前文のことだ。憲法前文との適合性が吟味されるべきであろう。

とは言いつつも、一般論としての憲法の枠内での個別自衛権の確認ということが、結局現実への妥協ということになってしまう一面を持っていることは否めない。率直に言えば、「国民的定着」という現実を無視はできないのである。それは正直に言って良いし、言うべきだ。

議論のポイントは二つある。

A. 個別自衛権の原点から見た、あるべき自衛隊の姿

個別自衛権の確認は、自衛隊の現状の丸呑み承認ではない。個別自衛権の確保にふさわしい組織のあり方が、より根本的に議論されなければならない。

B. 憲法前文に示された国際平和構築の任務

しかし、この個別自衛権問題が「国民連合政府」の実現への足かせとなるものではない。その最大の理由は、日本が51年の警察予備隊に始まり、戦力を事実上保持しながらも、平和国家としての歩みを続けてきたという事実である。

歴史の歩みが示しているものは、平和日本への歩みは、自衛隊のあるなしに縛り付けられているものではないということである。それこそが憲法前文の「国際社会での名誉ある地位」の精神なのである。

こういう議論もふくめながらの「国民連合政府」の政策課題が積み上げられていくことが望まれている。

そのうえで、我々の本来の主張は少数意見としては留保すべきであり、国民連合政府から民主連合政府への展望をめぐる一つの道筋としては明確にされるべきだろうと思う。これは既に、象徴天皇制をめぐる綱領議論の中で確認された論理である。


選挙後の総括の中でこれらの理論・実践課題は浮上してくるだろうと思う。「野党は共闘」で突っ走ってきた様々な人々が、今一度立ち止まって議論すべき時がやってくるだろうと思う。不破さんのことだから、そのくらいのことは見通していると思う。