BC108 前漢の武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪、真番、臨屯、玄菟の4郡を東北に置く。

BC82 前漢、行政区画を変更。真番郡を楽浪郡に併合、臨屯郡は廃止。臨屯郡も事実上廃止され、吉林省方面に改めて設置。その後遼東郡に吸収される。

0年頃 楽浪海中、倭人あり、分かれて百余国となる。歳時をもって来りて献見す。各々が楽浪郡と通交。(後漢書)

25 後漢の光武帝が即位する。

30 漢の支配力が弱体化する。中国人系の豪族が楽浪郡で反乱、半年以上にわたり占拠。

49 倭・韓が漢王朝に朝貢。(この「倭」は文脈から見て朝鮮南部の国との説あり)

57 倭の奴国、後漢の光武帝より「漢委奴国王」の金印を賜る。

107 倭国王帥升、後漢の安帝に生口160人を献上。

132 高句麗、遼東郡で楽浪郡太守の妻子を捕らえ、帯方県令を殺害。

168前後 倭国の大乱(後漢の桓霊間とされる。桓帝から霊帝への交代が168年)。

180頃 和平が成立し、卑弥呼が擁立される。(霊帝の治世は189年までであり、それを降ることはない)

204 遼東太守公孫度、後漢の放棄した楽浪郡に進出。その南方に帯方郡を開設。「是より後、倭・韓遂に帯方に属す」と布告する。公孫度は元は嶺東玄菟郡の太守であった。

楽浪郡が平壌を中心とした平安南道にあたることはほぼ確定。帯方郡は前漢時代の真番郡に相当し、開城を中心とする黄海道一帯を指すとされる。

220 曹操の子曹丕、魏を興す。遼東太守は魏へ恭順。

234年 百済が帯方郡南方に国家形成。(三国史記で、百済の古爾王が即位したとの記載あり)

当初の根拠地はソウル周辺と考えられる。公孫淵からは自立した一国家としては認められていない。百済の支配者は、もともと高句麗北方の扶余からの流れ者だった。

237 遼東太守の公孫淵、独立を宣言。燕王を自称する。帯方郡も楽浪郡も燕に属する。

237 新羅本紀に倭女王卑弥呼が新羅に遣使したとの記載あり。

238 魏が高句麗の支援を得て遼東の燕を滅ぼす。帯方郡は魏の直轄地となる。太守は東濊・韓族の首長との支配関係を確認。

238 魏、遼東に遠征し公孫淵を誅殺。さらに海上から楽浪、帯方を攻撃し制圧。東夷の民たちは中国の支配下に入る。

239 卑弥呼が魏(帯方郡)に朝貢使の難升米を派遣。難升米はさらに洛陽まで派遣される。卑弥呼には「親魏倭王」(倭の親魏派の王)の称号が贈られる。

240 帯方郡太守、魏の詔書・金印紫綬を配下の梯雋に持たせて卑弥呼のもとへ送る。

244 卑弥呼、二度目の朝貢。

245 帯方郡太守、嶺東へ遠征して東濊を討つ。これに伴い、嶺東地方一帯の管轄権が一括して楽浪郡に移動。帯方郡が所管していた辰韓八国が楽浪郡へ編入される。

245 これに抗議する辰韓が反乱。帯方郡太守を誅するが、反乱は敗北に終わる。(このとき生じた環日本海地域の“反魏感情”は、親魏を公称する馬韓・倭国との関係にも影響を及ぼしたかもしれない)

247 帯方郡太守、倭の使者から邪馬台国と狗奴国との交戦の報告を受ける。太守自ら上洛して官の決裁を仰ぐ。魏朝政府は張政邪馬台国に派遣し、少帝の詔書と黄幢を渡す。

248 卑弥呼が没する。倭国再び乱れ、台与を女王となす。台与は即位当時13歳とされる。(としても、卑弥呼の治世は最短でも60年を超えることになり、同一人物ではない可能性あり)

248 国中遂に定まる。壱與は使者を遣わし張政らの還るを送らしむ。

265 魏の禅譲を受け晋(西晋)が起こる。

266 晋に倭の壹与が朝貢。

274 晋、平州5郡(昌黎・遼東・楽浪・玄菟・帯方)を設置。

300 晋王朝、内紛から混迷状態に入る。混乱に乗じて匈奴が洛陽を占領。

313 高句麗が楽浪郡を占領。これに伴い帯方郡も崩壊(晋派の政権そのものは400年頃まで存続)。

316 五胡十六国時代が開始。記録のない「謎の4世紀」へ。

317 江南地方に晋(東晋)が再建される。

340 百済王は太子を倭国に送って人質とする。

356 奈勿尼師今が新羅国王に即位。新羅の実質上の建国。

369 高句麗、百済を攻める。倭の支援を得た百済は雉壌の戦いで高句麗を撃退。

375 百済の近肖古王、倭国に七枝刀を送る。

377 新羅が前秦に朝貢。新羅の前身が辰韓のひとつ斯盧国であると陳述。

384 百済、東晋から僧侶を迎え仏教導入。

391年 倭が渡海し、百残・○○・新羅を破り、以って臣民と為しぬ。(広開土王碑)

391年 倭国が百済北方まで進出し高句麗と戦う。(好太王の碑文)

391年 高句麗、百済の關彌城を落とす。(百済本記)

392 新羅、高句麗の求めに応じ同盟を結ぶ。

393年 高句麗、百済を征伐して10城を陥落

394 倭大王崩御。倭の将軍一部の将兵を残し、帰国する。高句麗は百済を攻め、帯方を奪回。百済を臣下とする。

396年 高句麗が百済を撃破。8千余を捕虜とした。

397年、百済は王子を人質として倭に送り通好する。

397 百済王、倭に従わず。倭は百済領土を侵す。百済は王子直支を倭におくり和を講う。

399年、新羅が倭の侵攻を受ける。王は倭の臣下となる。(広開土王碑)

399 百残、誓いに違い倭と和通す。王、平壌に巡化す。(広開土王碑)

400 高句麗が新羅反倭派の求めに応じ、歩騎五万を派遣する。新羅城を制圧した後、倭軍を任那・加羅まで追撃する。

400 倭は百済と連合して新羅に侵入。高句麗はこれと対抗し、新羅から倭軍を撃退。

404 倭軍が帯方界に進入するが、高句麗軍の前に多大の犠牲を出し敗退する。(広開土王碑)

406 後燕王、自ら遼東に侵攻したが、勝てずに帰った。

413 広開土王が死去。

413年 東晋は高句麗王を「高句麗王・楽浪郡公」に封じる。

413年 高句麗・倭国および西南夷の銅頭大師が、東晋(安帝)に貢物を献ずる(普書)。南史倭国伝では倭王讃が使いを遣わして、朝貢したとされる。

414 倭、百済に援軍を送り、高句麗に侵攻す。(広開土王の碑文)

416 百済王、東晋に使者をおくり、「使持節都督百済諸軍事鎮東将軍百済王」の称号を下付さる。

420 東晋の政権禅譲を受け、宋が興こる。南北朝時代開始。

421 倭王讃、宋に遣使、武帝より「安東将軍倭国王」の位を除授される (『宋書』倭国伝)

425 倭王讃、司馬曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる。(百済の宋への朝貢は457年、高句麗の朝貢は463年)

427 高句麗、南方に進出。平壌へ遷都。

430 倭国、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる(『宋書』文帝紀)

438 倭王讃が没し、弟の珍が即位。この年、宋に朝献し、自ら「使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める。

438 4月 宋文帝、倭王珍を安東将軍倭国王とする(珍の自称を認めず)。倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍に任命することは許される。(こちらは『宋書』倭国伝あるいは夷蛮伝となっているが詳細不明)

439 北方民族の鮮卑が華北を統一。北魏を建てる。

443 倭王済が即位。宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。(『宋書』倭国伝)

450 高句麗、新羅を攻撃。

451 倭王済、宋に朝貢。朝鮮半島における失地の回復を所望する。「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・倭国王」と加号される。

451年7月 宋の文帝、倭国からの朝貢に対し、「安東将軍」から「安東大将軍」への進号を認可。さらに一行23人に対し軍・郡に関する称号を与えられる。(『宋書』倭国伝)

460 倭国、宋の孝武帝に遣使して貢物を献ずる。

462 百済武寧王、九州の島で生誕。(この記事は日本書紀にも記載)

462 倭王済没し世子興たつ。興、宋に朝貢。宋の孝武帝、済の世子の興を(格下げして?)安東将軍倭国王とする。(『宋書』孝武帝紀、倭国伝)

475 高句麗が百済の首都、漢城を占領。蓋鹵王を殺害。百済は熊津まで後退し,新たに都とする。

477 百済で佐平、解仇が反乱。文周王を殺して三斤王を擁立。翌年にはさらに三斤王に対しても反乱を起こすが失敗、鎮圧される。

477 倭国、遣使して貢物を献ずる。(『宋書』順帝紀)。これより先、倭王興没。弟の武立つ。武は自ら「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」と称する。(『宋書』倭国伝)

478 後継者の武が、宋の順帝に遣使。「昔より祖禰みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し寧所にいとまあらず」の書き出しの上表文を送る。自ら開府儀同三司と称し、叙正を求める。

478 順帝、「持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍・倭王」の称号を賜る。(百済を含むか否かについては諸説あり)

479 宋の政権禅譲を受け、南斉が起こる。

479 倭王「武」南斉建国を祝って使いを遣わす。南斉の高帝は倭王武を安東大将軍から鎮東大将軍に進める。(『南斉書』倭国伝)

481 高句麗軍がさらに南進。百済・伽耶・新羅の連合軍は泥川の闘いで撃退する。

491 高句麗軍、新羅に攻めこむ。百済は新羅に加勢して高句麗軍を撃退。

496 伽耶が新羅に白雉を送る。

498 百済が済州島(耽羅)を支配下に入れる。(これは日本書紀では継体2年とされる)

501 百済、新羅に対する警戒を強め、国境に柵を設ける。

502 南朝に斉に代わり梁が成立。北魏の混乱・衰退に乗じて華北に進攻。

502 倭王武、梁王朝樹立にともない朝貢。鎮東大将軍から征東大将軍に進号される。(『梁書』武帝紀)

502 伽耶諸国の荷知王、梁に遣使。

502 倭国、任那4国を百済に割譲(百済本紀に基づく記述とされる)。

503 麻立干、智証王を名乗り新羅を正式国名とする。

503 伴跛(はへ)国、百済の一地方を奪取。伴跛は任那の一国であり、4国の百済割譲を肯んじなかったとみられる。

505 伴跛国、倭国と敵対し戦火を交えるに至る。

517 近江毛野臣の軍が派遣される。(継体21年の事項。継体初年を497と仮定した場合)

521 新羅が梁に初の遣使。

522 新羅が伽耶を影響下に置く。新羅貴族の娘が伽耶国王に嫁す。

523 新羅の法興王、南方の支配域を巡行。伽耶国王はこれに出向き拝謁。

524 新羅、北方の蔚珍(悉直国)を併呑し悉直州を置く。(金石文あり)

553 新羅、百済の東北部を奪取。新州を置く。554,556年にも百済、伽耶の領土を侵食。

532 金官国(金官伽耶)が新羅に投降。

554 百済と加良が新羅の管山城を攻撃するが敗退。百済の聖王が戦死する。

554 倭国、百済救援のため新羅に出兵する。

562 加羅(任那)が新羅に滅ぼされる。伽耶諸国全域を新羅が征服。

589 隋が中国を統一。