どうも頭のなかがパンク状態になっていて、文章が書けない。

とにかく骨組みだけ書いておく。

1.馬韓が天孫族の源流

いまの結論は、天孫系というのは馬韓そのものではないかということだ。

そして馬韓というクニの権力は、弥生式生産様式を受け容れた北方系種族ではないかということだ。

北方系は一般的には畑作で、麦+雑穀である。しかしそれを押し付けたのでは経済システムが成り立たないから、やむを得ず水田耕作を認めたうえで、その上に北方型の統治形態を重ねたのだろうと思う。

史的唯物論で言うと、土台と上部構造が食い違っていることになる。それを上部構造をモデファイすることでなんとか国の形にしたのではないか。

それは一定の時間をかけて行われたのだろうと思う。箕氏朝鮮は少なくとも数百年続いたのであり、その間に何度も南方への進出が図られただろう。

当時は北方の文明のほうが間違いなく優れており、武器も比較にならないくらい優秀だった。しかし米作社会に進出はできても、米作社会を経営することはできなかった。軍を送るコストに見合うパフォーマンスは期待できなかった。だから放置したのである。

しかし中には米作社会を許容することで、統治を図ろうとする試みもあったであろう。それがハイブリッド国家としての馬韓ではないか。

2.辰は長江人の国

辻本武 tsujimoto blog で韓国のウィキ百科事典の「辰国」記事が紹介されている。

①辰は紀元前4世紀から紀元前2世紀頃、青銅器および初期鉄器文化を基礎として朝鮮半島漢江以南に存在した。

②この頃から金属文化が伝わって原始社会が崩壊し、新しい政治的社会が成立した。

③辰国は辰王勢力の部族連合体である。それは古朝鮮と共存し、後に馬韓、弁韓、辰韓の三韓として鼎立した。

これは魏志東夷伝とその後の後漢書を読み解いたものである。しかし辻本さんも言うように読み込み過ぎであろう。

魏志をどう読むかはいずれ検討したいが、肝心なことは以下の点である。

①辰は韓ではない。いまは辰韓として取り込まれているが、元は「韓」ではなく「辰国」であった。

②辰人は韓人ではない。中国人の異種、すなわち長江人である。文法的には中国語っぽいがさっぱりわからない言葉をしゃべる人々である。だから中国人は、「これはいにしえの秦である」とか、もっと西域の人々であるとか考えたのであろう。ただし辰は秦ではなく馬韓から見て東(辰)の方角ということではないか。

③辰国が三韓に分かれたのではない。范曄の『後漢書』韓伝は三韓がいずれも古の辰国であったとしているが、魏志の「解釈」であろう。それは「諸国の王の始祖は、すべて馬韓種族の人だった」という記載と矛盾する。

④長江人は最初から辰韓地域(現在の慶尚南道)に集中して生活していた。それは弥生早期に弥生人が唐津から板付までの地域に集中していたのと同じであろう。

3.倭国の政治的モデルとしての馬韓・辰複合体国家

馬韓は辰を保護国化した。辰韓は自らの王さえ選べない保護国と化した。同じことが、ほぼ同時に、日本でも起こった可能性はある。

このような「天孫族・弥生人複合体」あるいは「馬韓・辰韓型国家」が倭国の国家的骨組みを形成しているのではないだろうか。

その際に、「諸国の王の始祖は、すべて馬韓種族の人だった」という「馬韓神話」が、日本においても「高天原神話」として通底していた可能性はないだろうか

つまり、辰国の弥生人がまずやってきて北九州に水稲社会を構築し、その後馬韓が、支配者としてやってきて、「諸国の王の始祖は、すべて馬韓種族の人だった」というでっち上げイデオロギーのもとに北九州諸国をも支配下に置くという構図である。

これには韓国の歴史学世界とは独立した考古学的作業による裏付けが必要だが。