小麦を知る

わたしの勤務する「はるにれ」は、ロケーションとしてはまことにいいところである。

札幌に隣接する江別の高台にある。札幌市内の自宅から車で20分足らずの場所だが、何よりも良いのは見晴らしである。眼前に札幌の街が広がる。JRホテルをはじめとする高層ビルが一望だ。そのビル街の街越しに藻岩のスキー場、大倉山のジャンプ台、三角山が連なり、その向こうに手稲山が見晴るかされる。

そこから右に目を移すと、小樽に至る山並みが赤岩のあたりで一旦沈んで、最後に祝津の山で終わる。左に戻すと無意根、札幌岳と続いて山並みの切れた奥に猛々しい恵庭岳、風不死、さらにかすかに噴煙を上げる樽前までが一望できる。

振り返ると、太美のスエーデン村の丘の向こうに暑寒別の雪山、さらに東には夕張岳、芦別岳が一望される。

近辺は市街化調整区域なので一軒も家がない。向かいの中学校を除けば周囲の四方は畑ばかりだ。クリニックの営業環境としては最悪なのだが…

で、隣の畑、診察室の真ん前は今年は小麦が植えられている。そして今や麦秋なのだ。


子供の頃、日本は食糧不足だったから、田んぼは裏作をやっていた。夏の田んぼは冬の麦畑だったのである。

霜柱が立つ頃、息を白く吐きながら麦踏みをするのが子供の仕事だった。

麦は麦踏みすることで分ケツするからだいじなのだと教えられた気がする。あれは大麦だった。

別に麦飯がまずかったという思い出はないが、コメだけの「銀シャリ」がうまかったことは憶えている。

そんなことを思い出しながら、麦畑を見ている。


実はわたしは、こういう一面に広がる麦畑というのを見たことがなかった。

とにかく1キロ先までずっと麦畑だ。トラクターが2日がかりで往復してやっと種まきが終わる。

この畑、去年は何も作っていない。その前は2年続けてとうきび畑だった。つまり小麦はオリンピックと同じで4年に1回しか作れないのだ。実に贅沢なものだ。

そのかわり、小麦づくりはまったく手間なしだ。秋に耕して肥料をいれて、種を撒いてそれっきりだ。なのにしっかりと小麦は育っている。雑草はほとんど生えない。

これが麦というものだ。私は内地に育って、米作りばかり見てきたから、農業というのは大変なものだと思っていた。毎日、あぜをまわり水の深さから水温まで管理しなければならない。草取りも二度三度ではない。おまけに日照りだ水害だと気が気ではない。

ところがどうだ。小麦は撒いたら最後、刈り入れを待つばかりなのだ。こんなずぼらな仕事、農業といえるのか。


私たちは子供の頃から水田栽培の生産性の高さというのを頭に叩きこまれてきた。

アジアのモンスーン気候の中で水田耕作が発達し、それは単位面積あたりの収量がとても高い。だからアジアは多くの人々を養えるし、世界の中でも発展してきたのだ、と習った。

しかしそれは土地の生産性を最大限に上げるための技術であって、人間の労働あたりの生産性は決して高くはない。いつもかつかつ暮らしていくしかない。

麦は畑が作るが、コメは額の汗が作るのだ。肥えた土地が豊富にあるのなら、こんなことで一生終わるのは愚の骨頂ではないか。

麦の世界の人々は一坪でも多くの土地を獲得しようと命をかけるが、コメの世界の人は「そんなことするひまがあったら田作りせぇ」ということになる。


北方系文化と長江文明などの南方系生産様式を比較して思う。4大文明をもたらしたのは小麦栽培だろう。水田地帯は4大文明など関係なくあくせく生きてきただけではないか。

そんなことで、「ちょっといろんなことを考えなおしてみてはどうか」というのが、この2,3日思うところです。