衛氏朝鮮(衛満朝鮮)は天孫系の源流か

件のごとく年表形式で

なお 2013年01月03日 及び 2013年01月19日 は不十分であるため、こちらに含ませることにする。


BC1046年 周が殷を滅ぼす。このとき周が殷の重臣、箕子を朝鮮侯に封じたとされる。朝鮮半島に関する最古の記述。韓国側は檀君朝鮮がこれに先行していたと主張する。

BC334 『史記』蘇秦列伝では、この年の記載として燕が遼東と朝鮮(朝鮮半島北部)を領有すると伝える

BC284 燕が全盛期を迎える。朝鮮と真番は燕の配下に入る。要地には砦を築き官吏を駐在させる。

朝鮮朝の南は真番と呼ばれた。後の4郡の内、真番郡は京幾道・忠清道あたりを指すと思われる。
その南には、「
真番に軽く属していた朝鮮蛮夷や、その地に暮らす昔の燕や斉からの亡命者ら」が住んでいたとされている。

BC214 箕子朝鮮の王「否」、中国を統一した秦帝国に服属を誓う。

箕子はもともと朝鮮侯として封じられたが、のちに朝鮮王を僭称することになる。箕子が800年も続いたとは考えにくいが、中国の間接的な影響下にあったとは言えるだろう。

BC209 陳勝呉広の乱。秦帝国が乱れる。燕国は機に乗じ再び独立。

BC206 秦が滅ぶ。燕王の韓広は項羽により滅ぼされる。

BC202 前漢が成立。燕の旧領を直轄化する。このとき燕の部将、衛満は千人余りの徒党と共に朝鮮半島に亡命。朝鮮王朝より官職・封地を賜る。

BC194 衛満が朝鮮王朝を簒奪。自ら王となる。漢の遼東大守は皇帝の裁可を得てこの政権を承認。衛氏朝鮮の勢力圏は平安北道を除く朝鮮半島のほぼ全域におよぶ。満は中国の鉄器文化を背景にこの地方を支配したとされる

BC194 朝鮮王「箕準」は数千人を率いて逃亡し、馬韓を攻略し「韓王」となる。『後漢書』弁辰伝。

朝鮮王準、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を撃ち破る。準の後裔は滅絶し、馬韓人が再び辰王になる。

BC191 漢朝、衛満を遼東太守の外臣に任じ、東方からの異民族の侵入に備える。衛氏朝鮮の勢力圏は満州にも拡大。

BC108 漢の武帝、水陸合わせ5万の討伐軍を派遣し衛氏朝鮮を滅ぼす。

BC108 漢帝国、朝鮮に楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の四郡を置く。

臨屯は朝鮮半島の日本海沿岸部、真番は朝鮮半島南部。玄菟郡は北東部。現在の慶尚道と全羅道南部は“韓”として管轄外に置かれる。

BC82 真番・臨屯が廃止され楽浪郡に編入される。玄菟郡もその後段階的に縮小され、事実上楽浪郡のみとなる。

BC45 「楽浪郡初元四年県別戸口簿」によると、楽浪郡25県の戸数は4万3251戸、人口は28万0361人であった。


ということで、どうも衛氏朝鮮は天孫族の直接の祖先とは言いがたいという印象だ。あるとすれば、むしろ箕子朝鮮の流れをくみ弥生人や縄文人と習合した末流という感じではないだろうか。