クニの発生の問題に入る前に、一つ算数の問題として片付けて置かなければならないことがある。

弥生人は朝鮮半島南部に渡来した長江文明人と考えられる。それがどのくらい日本に渡来すれば日本人のゲノムの2/3を占めるまでに増加できるのか、それは「自然増」で説明できるのかということである。

急速な増加は多数の渡来人を予想させるが、その場合おそらくは先住民である晩期縄文人との生き残りをかけた闘いが引き起こされるであろう。しかし考古学的には弥生VS縄文の闘いの痕跡は証明できない。

それは弥生人が平和的であったというような「神話」では説明できない。歴史はむしろ弥生時代が弥生人同士の戦乱に継ぐ戦乱であった可能性を示唆している。とすれば、弥生人の渡来はそれほど多くはなく、比較的少数の弥生人が定着する中でその人口をねずみ算的に増加させ、縄文人との住み分けを行いつつ、日本全土に拡散していったと考えるべきではないだろうか。

晩期縄文人の数は多くても10万人前後と考えられるから、紀元前500年辺りから渡来し始めた弥生人がどのくらいの数で、どのくらいの年数をかければそれと拮抗する、あるいは上回るほどの人口になるかを推計すればよいわけである。それで説明が可能なら、朝鮮半島側のプッシュ要因をあえて強調する必要はなくなる。

渡来者の数をX人とする。一つの夫婦が40年生きるとする。そしてその間に6人の子が生まれ、4人の子供が育つとする。40年経った時、夫婦は死ぬが4人が育ち結婚する。つまり40年で人口は2倍になる。80年で4倍、120年で8倍になる。弥生中期のトバ口は紀元前200年ころ、つまり300年の間この関係が続けはどうなるかという計算である。300÷40=7.5だから2の7.5乗、イコール200倍である。逆算すると10万人の200分の1,すなわちX=500人が渡来すればOKである。

自信がないので40年周期にしたが、生殖可能年齢を20歳とするなら、この倍のスピードで人口が増加するよう設定するべきかもしれない。

水田栽培は採集生活に比べればきわめて労働集約型生産システムであるから、人口の著増を必要とするが、自然の運命に対しより高い自立を可能ともする。まさに「産めよ、増やせよ、地に満てよ」の世界であり、縄文の生活とはまったく異なる次元にある。

2つのウクラード社会が並行して進展すれば、人口的には弥生式生産様式が凌駕するのは当然であり、そこに戦闘とか民族浄化などの概念をあえて差し挟む必要はないのである。

ということで、大規模な民族の移動なしに弥生人の大規模進出を説明するのは、算術的にはまったく困難ではない。