板付遺跡の研究史

1916年(大正5年) 板付遺跡の甕棺内から青銅製の矛や剣が出土。弥生式土器に金属器がともなうことの初めての報告であった。

1950年(昭和25年) 板付遺跡で、縄文土器と弥生土器が同時に採集される。これにより板付遺跡が弥生時代最古の遺跡である可能性が浮上した。

縄文土器とされたのは、「刻目突帯文土器」であり、晩期の夜臼式(柏崎式)土器とと鑑定された。弥生土器とされたのは板付Ⅰ式土器で、弥生前期のものとみなされた。

1954年 日本考古学協会の共同発掘調査が4年間にわたり行われ、詳細が明らかになる。

断面V字形の環濠や貯蔵穴、竪穴住居などが検出された。板付式土器などと共に石包丁などの大陸系磨製石器が出土した。日本最古の環濠集落であることが確実となった。炭化米や籾圧痕の付いた土器などが出土した。

1978年(昭和53年) これまで発掘された弥生I層(弥生時代前期)より下に縄文時代晩期末の遺跡が存在することが明らかになる。

大区画の水田跡と木製農機具、石包丁などが出土。用水路に設けられた井堰などの灌漑施設が確認される。
この結果、水稲農耕は弥生前期よりも溯ることが確認される。

(弥生時代の層の下層から、縄文時代早期(約9,000~6,000年前)の押型文土器が出土、さらに古層からは旧石器も出土)


結局、板付Ⅰ式は弥生早期という区分を作ってそこに収まっているが、「弥生早期は弥生時代か?」と言われるとニヤッとしています。

縄文晩期なんだけれども弥生っぽい時代、みたいな感じで言われているようです。

結局視点が定まっていないのです。

私ならこう尋ねます。「それを担ったのは縄文人なのか、弥生人なのか」

そして人骨を探してゲノム解析(ミトコンドリアDNAでもよい)をします。これは決定的に重要な事なので、考古学屋さんのような曖昧な言い方は本来許されないのです。