まことにありがたいクロニクルがある。中国新聞のヒロシマの記録というページで、1966年11月以降の出来事が細大漏らさず記載されている。
もともとは1970年から始まった第二次碑文論争の足跡を辿ろうと思って探していてヒットしたのだが、内容はそれにとどまらない。読み進めていくうちに実時代を生きているような気分にさせられる。
どちらかと言えば、それまでは例の「碑文」はバカにされていた。
何をピンぼけなことを言っているんだ、アメリカはベトナムで今にも核を使いそうな雰囲気だったし、中国は原爆と水爆の実験を相次いで成功させるし、下田駐米大使は「核武装」論をぶち上げるし、原爆を積んだ飛行機は墜落するし、とにかく「祈って」いる暇などなかった。
そういうなかで右翼が慰霊碑に的を絞って攻撃をかけてきた。虚を衝かれた反核陣営は、ともかくも体制を建て直して慰霊碑の防衛に回った。最初はほとんど「心ならずも」の世界だった。
そして闘いのさなかに原水爆禁止運動の「原点」を慰霊碑の碑文の中に見出していくことになった。碑文そのものが原点というより、「普通の広島市民」の思いが核廃絶運動の原点にあることが確認されていくのである。
とりあえず、中間報告ということで目下の思いを表現させてもらった。
膨大な資料ゆえ、まだ読み切れはいない。本格的なコメントはそれが終わってからの事になりそうだ。