あらためてオバマ演説を読むと、美辞麗句にとどまらない、含蓄のある言葉が散りばめられていることに驚く。

これは聞く文章ではなく読む文章だ。

1.71年前、人類は人類滅亡の道具をついに手にしてしまった

これは冒頭の文章だ。「原爆=人類滅亡の道具」という定義を、その押しボタンの所有者から聞くことに感慨を覚える。

人類滅亡の道具については、後段でも言及がある。

人類は自滅の道具を手にした特異な種だが、反面、これもまた人類を人類たらしめる特異な資質なのである。

オバマは弁証法を身につけている、と感じる。

2.死者の魂はわれわれに問う。「おまえはいったい何者なのだ、どこへ向かうのだ」

この唐突な表現は、聖書を下敷きにしたものである。

ローマ皇帝のキリスト教徒弾圧に直面し、ローマで布教にあたっていたペテロは街を脱出した。その時ペテロはイエス・キリストとすれ違う。この時ペテロがイエスに問いかけた言葉が「クォ・ヴァディス」(Quo vadis)である(外伝の方)。

キリストはこう答えた。

なんじ(汝)、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて、いま一度十字架にかからん

3.われわれは、だからここに来た

どんなに辛くてもこの街の中心に立って、あの爆弾が落ちてきた瞬間のことを全身全霊を傾けて想像してみなければならない。

おそらく、ここが碑文と響き合うところだ。

現実から目を背けず歴史を直視し、同じ苦しみを繰り返さないため何ができるのかを自らに問う共通の責任がわれわれにはある。

これが雑賀さんの言いたかったことであろう。オバマは雑賀さんの気持ちを体得している。

1945年8月6日の朝の記憶は永久に風化させてはならない。その記憶はわれわれに現状を打破する力を与え、モラルの想像力の殻を破る力、変わる力を与えてくれる。

4.ヒロシマは核戦争時代の夜明けではない

広島と長崎が「核戦争時代の夜明け」として歴史に刻まれる未来なんか要らない。「モラルの目覚めの朝」として歴史に刻まれる未来をともに選んでいきたい

以上のようにオバマ演説を読み解くとき、とりわけ3.の部分は凛として慰霊碑の碑文と響き合っているように思われるがいかがであろうか。


大変だ。「原爆慰霊碑の碑文とオバマ演説 その1」を消してしまった。その2を上書きしてしまったらしい。