上海歴史地図 その他より作成

1842年

6月 アヘン戦争が終結。南京条約が締結される。上海、広州、福州、厦門、寧波の5港の開港と香港の割譲を認める。上海は対外通商港として開港する。

44年 イギリスに続き、アメリカ・フランスが清と条約を締結。上海を対外通商港とする。

45年11月 第一次土地章程(Land Regulations)が締結される。

イギリス商人の居留のため黄浦江河畔(バンド地区)に租借地が認められる。当初の区画は幅500メートル長さ1キロの小規模なもので、長崎の出島のレベルであった。その後拡張を繰り返し約10倍に拡大。

49年 アメリカ租界、フランス租界が認められる。アメリカ租界はイギリス租界の北側、フランス租界は南側に設定される。

49年 上海—ロンドン間の定期航路の運行が開始される。

1851年1月11日  華南の新興宗教結社「拝上帝会」が武装蜂起。国号を「太平天国」とし、教祖の洪秀全はキリスト教に帰依し自身を天王と称した。

1853年

1月 太平天国軍、武昌を陥落させる。

3月 太平天国軍、江寧(南京)を陥落させ、ここを天京(てんけい)と改名し、太平天国の王朝を立てる。太平天国軍は20万以上の兵力にふくれあがる。纏足の禁止や売春の禁止、女性向けの科挙などを実施。

4.27 英国公使ボンハムが南京を訪問。太平天国にも清国にも中立であることを告げる。

5月 太平天国軍が上海に迫る。イギリス、フランス、アメリカは共同し上海地方義勇隊を組織。義勇隊はのちの万国商団(Shanghai Volunteer Corps)となる。

5月 福建省の秘密結社「小刀会」が蜂起。廈門に政権を樹立するに至る。税の免除と太平天国との連携を宣言。

9月 上海でも小刀会が蜂起した。上海知県の袁祖徳を殺害。1年半にわたり上海県城(フランス租界の南側)と周辺の嘉定・青浦を占領する。「反清復明」という目的、租界を攻撃せずの言明があり、アメリカ・イギリス・フランスは中立の姿勢をとる。

9月 小刀会の蜂起の結果、2万人を超える中国人難民が租界に流入し、上海は無国籍地帯と化す。

1854年

4月 清軍と上海地方義勇隊(米英人居住者による自警団)が衝突。泥城浜で激戦となる。小刀会が自警団側に加勢し、清側は300人の死者を出す敗北を喫する。

7月 イギリス領事オールコックは、米仏領事と協議し第二次土地章程を公布する。7名の選挙で選ばれた参事が、すべての自治権と行政権を握る。参事会のもとに「工部局」が創設され、行政一般の実務を担う。中国側には事後通告のみ。

内容としては①イギリス租界の拡張、②中国人の雑居の黙認、③三国領事の協議による運営・工部局(執行機関)と巡捕(警察)の設置である。工部局は後に租界の行政管理機構となる。

12月 清は上海の税関と租界の権益を条件にアメリカ・イギリス・フランスの支持をもとめる。

1855年

2月 清軍と清側の提案に応じたフランス軍とが県城を攻略。小刀会残党は太平天国領に逃れる。

2月 中国人の租界での居住が許可され、「華洋雑居」が始まる。

1856年

6月 一旦劣勢に陥った太平天国軍がふたたび攻勢に出て、江北・江南に基盤を確立。

10月 アロー号事件が発生。第二次阿片戦争が始まる。

10月 英国の治外法権が確立。領事法廷、監獄などが設置される。フランスもこれに続く。

1860年

8月 太平天国軍が第1次の上海攻撃。上海の官僚と商人は、西洋式の銃・大砲を整え租界にいた外国人を兵として雇用する。アメリカ人ウォードを指揮官とする「洋槍隊」が創設される。

10月 北京条約が締結される。欧米諸国は清朝につき、太平天国に敵対するようになる。

1861年

「洋槍隊」が「常勝軍」と改名。中国人を5千人ほど徴兵。

1862年

1月 太平天国軍の第二次上海攻撃。半年にわたる。

5月 英仏海軍が太平天国軍の拠点であった寧波を砲撃。山側から迫った清軍が市内に突入。この一連の戦闘で常勝軍隊長のウォードが戦死。イギリス人チャールズ・ゴードンが指揮官に就任する。

5月 イギリス主導を嫌うフランスは独自の執行機関「公董局」を設立。

6月2日 江戸幕府の御用船千歳丸が上海に到着。薩摩藩の五代友厚や長州藩の高杉晋作ら各藩の俊秀が、2ヶ月にわたり情報収集にあたる。

8月 太平天国軍の第三次上海攻撃。11月まで続く。

1863年

3月 江蘇巡撫の李鴻章、洋務運動を展開。外国語学校の上海同文館を創設。

9月 英米租界が工部局のもとで正式に合併し、名前も「共同租界」と変更する。この時点で租界部の外国人人口は6千6百人。

1864年

7月 天京(現南京)が陥落し太平天国の乱は終結。この時城内の20万人が虐殺されたという。

1865年 

4月 香港上海銀行(イギリス系)がバンドに上海支店を開設する。この後、欧米の金融機関が本格的に上海進出を果たす。

5月 中国最初の近代的軍事工場「江南機器製造総局」が虹口に建設される。

69年 『土地章程』を再改定し、『第三次土地章程』を発布する。①協議機関を居留外人の評議会とし、予算審議、執行部の選挙権を持たせる、②工部局の機能強化、③租界在住の中国人に対する代理裁判権を実現する。フランス租界もこの制度を追随。

70年

パシフィック・メール社、上海—長崎—横浜間の航路を開設。

71年 

大北電報公司が上海—香港間、上海—長崎—ウラジオストック間の海底ケーブルを敷設。香港経由でロンドンまで電信が開通する。

72年

1月 日本が領事館を開設。

73年 日本の岩倉使節団が上海の市内を見学。

74年

5月 日本から人力車(東洋車)300台が輸入され営業開始。

75年

2月 三菱汽船がフランス租界で開業。2年後には三井洋行(三井物産)が福州路に支店を開設。

76年

7月 上海—呉淞間に最初の鉄道が開業。住民の反対運動が起こり、清朝政府が買い上げて撤去。

81年

上海—天津間に電信線が開通。

82年

2月 大北電話公司が中国最初の電話交換所を設立。

7月 イギリス資本の電気会社、上海電光公司が発電を開始。大馬路、黄浦公園などに電灯が点灯。

83年

5月 イギリス資本の水道会社が公共租界と虹口地区に給水を開始。

84年

8月 清朝政府がフランスに宣戦布告(清仏戦争)。フランス租界の管轄をロシア領事が代行。

85年

日本郵船、三井洋行が支店を開設。

90年

6月 最初の日本語新聞、『上海新報』(週刊)が創刊。1年で停刊。

8月 江南製造局で労働時間延長に反対して約2000人の労働者が上海最初のストライキを行う。

* 共同租界中心部の建築ラッシュが始まる。フランス租界には茶館、妓館、アヘン窟が集中する。中央区と西区(旧イギリス租界)では、バンド地区に各国の領事館や銀行、商館が並び、これに直角に交わる南京路には、ビック・フォーと呼ばれる百貨店が立ち並ぶ。

93年

5月 貿易金融を専門とする「横浜正金銀行」が上海に支店を開設。

94年

3月 朝鮮開化党の指導者金玉均、市内で暗殺される。

8月 清朝が日本に宣戦布告。日清戦争が始まる。上海の領事団は中立を宣言。

96年

1月 康有為が主催する上海強学会が発足。維新派の政治団体として活動するが3週間で清朝政府により閉鎖。

97年

5月 中国最初の民間銀行、「中国通商銀行」が開業する。

98年

6月 北京の清朝政府、変法維新の詔勅を発布。「戊戌変法」と呼ばれる。3ヶ月後に西太后がクーデターを起こし、皇帝を幽閉。

7月 フランスの道路建設に反対する住民のデモにフランス軍水兵が発砲。17名の死者が出る。清朝政府はこれを罰せず。

8月 上海—呉淞間に鉄道が開通。

20世紀

00年

9月 華北で義和団の反乱が起こる。列強は8カ国連合軍を形成。

00年 上海の万国商団、海関隊を組織。日本人も加入。

01年 上海に初めて自動車が登場。香港からフォード車を2台搬入する。

02年

4月 上海で中国教育会が成立。蔡元培、章炳麟、蒋智由らが発起人、蔡元培が会長をつとめる。200名余りの学生を集め愛国学社を設立。

03年

4月 ロシア軍が東北三省へ侵入。これに抗議して愛国学社の師弟96名が「拒俄義勇軍」を組織。

6月 鄒容、章炳麟ら、革命を鼓吹する文章を発表し逮捕される。鄒容は1905年に獄死。

04年

2月 日露戦争が開始。上海道台は上海を中立区とすることを宣言。

11月 浙江省出身者を中心に光復会が結成される。会長は蔡元培、副会長は陶成章。蔡元培は秋瑾の入会を認めなかったという。

05年

8月 中国革命同盟会(孫文)が日本東京で成立し、蔡元培が上海分会会長となる。アメリカの中国人移民制限法に抗議してアメリカ製品ボイコット運動を展開。

11月 上海・横浜・米国間の海底ケーブルが開通。

12月 「会審公廨事件」発生。イギリス副領事兼陪審官のトィーマンの横暴への抗議運動に対し警官が発砲。死者11人を出す。

05年 北四川路方面の開発が進む。虹口公園が北四川路奥に完成。

06年 パレスホテルが落成。

上海1906
1906年の上海 

07年

1月 『中国女報』(月刊)が創刊。秋瑾が主筆を務める。秋瑾は「光復軍」の組織と武装蜂起の準備を進めたが、7月に紹興で逮捕、処刑された。遺句「秋風秋雨、人を愁殺す」

4月 『神州日報』が創刊。革命派の主張を展開。

6月 上海城内の阿片館が政府の禁令に従って一斉に営業停止。各国領事も公共租界内の阿片館を段階的に閉鎖することを決定。

08年

路面電車が公共租界、フランス租界で営業開始。最初の鉄筋コンクリート建築。電話の通話業務を開始。上海—南京間に鉄道が開通。9月 タクシー(出租汽車)の営業が始まる。上海最初の映画館(虹口影戯院)が落成。東本願寺が建立。

09年 

10月 革命派の文学団体「南社」が結成される。翌年には革命派の新聞『民立報』(日刊)が創刊。宋教仁らが筆を振るう。

1911年

1月 黄浦江に浦東とを結ぶ官営フェリーの運航が始まる。

1月 断髪会が挙行され、1,000人余りが弁髪を切る。

2月 フランス人ファロンの操縦する飛行機が初めて上海の空を飛ぶ。

7月 中国革命同盟会の中部総会が上海に成立。

8月 江亢が社会主義研究会を組織。

10月 武昌で武装蜂起に成功。11回目の蜂起となる。その後全国に蜂起が拡大。24省中15省が清からの独立を宣言。辛亥革命が勃発。

10月 日本の内外棉株式会社が最初の工場を開設。

11月03日 上海でも革命軍が武装蜂起。閘北を制圧後、城内に侵攻し警察を占拠。翌朝までに上海の華界を支配下に置く。

11月03日 革命軍、滬軍都督府を開く。陳基美が滬軍都督に就任。

11月12日 工部局(列強機関)が会審公廨を管理することを宣言。清朝政府は租界内の司法権を失う。

11月 中国革命同盟会の会員だった北一輝が上海に渡る。

12月25日 孫文が上海に到着。自宅に同盟会の幹部を召集し臨時政府方案を策定。

孫文は蜂起を扇動して、敗れると海外亡命。そのたびに華僑から資金を獲得し再起する。このため「孫のホラ吹き」(孫大砲)とあだ名される。 

1912年

1月1日 南京で中華民国臨時政府が成立。孫文が臨時大総統に就任。

1月14日 光復会の領袖、陶成章が暗殺される。陳其美が蒋介石に暗殺を指示したとされる。

2月12日 北京で清帝(宣統帝)が退位。清朝が滅亡。袁世凱が臨時大総統に就任。上海は引き続き北京政府の支配下に置かれる。

3月20日 上海の革命派指導者の宋教仁が暗殺される。宋教仁は同盟会の領袖の一人で、新政府の内閣総理の有力候補者だった。追悼会の参列者は3万人にのぼる。

5月29日 徐企文に率いられた中華民国工党の武装部隊がを襲うが失敗に終わる。

7月18日 陳其美が上海独立を宣言。討袁軍が南市、龍華一帯を制圧後、江南製造総局を攻撃するが失敗。陳其美は租界に逃げ込み、日本に亡命。

11月 梅蘭芳が初めて上海で公演。上海中の評判となる。

1914年

4月 劉師培、無政府共産主義同志会を結成。

8月 第一次世界大戦勃発。中国政府は中立を宣言。

1915年

3月 日本が「21ヶ条要求」を強要。袁世凱はこれを受諾。日本に抗議する国民大会が開かれ3万人が参加。上海の埠頭労働者は日本郵船の仕事を拒否。

9月15日 陳独秀ら、『新青年』(原名は『青年雑誌』)を創刊。「文学革命」を牽引する。

10.29 陳其美が密かに日本から帰国。フランス租界に中華革命党の組織総機関部を設ける。

11.10 上海鎮守の鄭汝成、中華革命党員に暗殺される。

12. 5 陳其美率いる中華革命党が武装蜂起するが、失敗に終わる。

12.12 袁世凱が北京で皇帝即位を宣布。孫文は「討袁宣言」を発表。

15年 栄宗敬、栄徳生兄弟が申新紡績公司を設立。最大の民族資本の紡績会社となる。

1916年

5. 孫文が日本から帰国し、上海(フランス租界)で「第二次討袁宣言」を発表。

5.18 陳其美が暗殺される。北京政府の弾圧のため上海での活動は困難となる。

6. 7 北京で袁世凱が死去。黎元洪が大総統に就任。

1917年

1. 『新青年』が胡適の「文学改良芻義」を発表。「文学革命」の嚆矢。『新青年』の編集部は陳独秀の北京大学文化学長就任にともない北京に移ったが、印刷発行は上海で行われた。

7. 3 孫文、章炳麟、唐紹儀らが協議。上海から広州へ南下し、護法運動を展開することを決定。

11月 ロシア革命が成立。

内山完造が四川路魏盛里に内山書店を開店

1918年

6.26 孫文が上海に戻る。

7.16 日本水兵の暴力沙汰に端を発し、日本人居留民が中国人警官と衝突、日本人2人が死亡、中国人警官4人が負傷。日本居留民団は日本総領事に日本人警官の配備強化をもとめる。

1919年

3.17 フランスへの勤工倹学留学生の第一陣89人が船で出発。毛沢東が胡南出身学生の見送りのために初めて上海に来る。

4.11 大韓民国臨時政府がフランス租界に成立。「三一独立運動」後に上海に亡命した29人が臨時議会と臨時政府の樹立を宣言。

5. 7 北京で「五四運動」が発生。学生の愛国運動を支援する集会に2万人が参加。商店が日本製品ボイコット運動を始め(罷市)、学生が授業を放棄して反日の宣伝活動を展開(罷課)。

6. 5 上海の労働者が北洋政府の学生弾圧に抗議してストライキに入る(罷工)。「罷市」「罷課」「罷工」の「三罷」闘争が展開される。

6.16 全国21地区の学生代表50数人が上海に集まり全国学生連合会が成立。

7. 1 ベルサイユ条約に中国政府代表が署名。市民約11万人が抗議大会を開く。

9.  『新青年』が「マルクス主義専号」を出す。

10.10 孫文、中華革命党を改組し中国国民党とする。

1920年

1.  公共租界の中国人商店の組織、上海各路商界連合会が参政権を要求して納税拒否。

4.  コミンテルンの派遣したヴォイチンスキー(維金斯基)が上海に入る。中俄通信社の看板を掲げ、北京から移転した陳独秀と会見するなど活動を開始。

5. 5 毛沢東が二度目の上海来訪。約二ヶ月滞在。

8.  上海共産主義小組が成立。本部を陳独秀の家に置く。『新青年』の編集部も兼ねる。

8.22 上海社会主義青年団が成立。

8.  『共産党宣言』中国語版が新青年出版社から出版。陳望道が日本語版から翻訳。

9.「新青年」、上海共産主義小組の機関誌となる。

11.21 上海機器工会が成立。上海共産主義小組の指導の下に組織された最初の労働組合。

* 日本人の大量進出が始まる。共同租界の北区(虹口地区)と東区(旧アメリカ租界)は、ほとんどが日本人に占められた。

1921年

1.  茅盾が『小説月報』の編集主任となり、「改革宣言」を発表。

3.30 芥川龍之介が大阪朝日新聞の特派員として上海に来訪し、5月17日まで市内各所を遊歴。

7.23 中国共産党第一回全国代表大会(~30日)。会場は李漢俊の家。

8.11 中国労働組合書記部が成立。中国共産党が組織した労働運動の指導機関。

12.13 『婦女声』(半月刊)を上海中華女界連合会が創刊。共産党の女性向け雑誌。

1922年

2.  平民女校が設立される。共産党の女性幹部養成のための学校。校長は李達。陳独秀、陳望道、茅盾などが教師をつとめる。年末には閉校。

7.16 中国共産党第二回全国代表大会(~23日)。会場は李達の家

8.13 上海最初のバスの運行が始まる。

8.23 李大創、孫文宅を訪れ会談。共産党員として初めて国民党に加入(二重党籍)。

10.23 上海大学が成立。共産党の運営による大学。于右仁が校長、履中夏が校務長、瞿秋白が教務長を務める。

1923年

1.23 上海で中国最初のラジオ放送。3ヶ月で停業。

1.26 孫文とソ連大使ヨッフェが孫文宅で会見。「孫文・ヨッフェ共同宣言」を発表。

10.20 『中国青年』(週刊)が創刊。中国社会主義青年団の機関誌。履中夏、@代英などが編集。

11. 1 上海書店が開業。中国共産党の出版機構。

*  日本郵船が上海—長崎間の定期運航を開始。

* 芥川龍之介、毎日新聞記者として上海に渡る。村松梢風が2ヶ月にわたり上海に滞在。翌年、『魔都』を発表。

1924年

1.  国民党が国共合作を決定。

6. 毛沢東が上海での生活を始める。

9.  江浙戦争勃発。斉燮元・孫伝芳軍が上海に進駐。

12.  旧ロシア領事館にソ連領事館が開設される。

1925年

1.11 中国共産党第4回全国代表大会(~22日)。

2. 9 日本の内外棉工場で争議が発生。現場監督の暴力に抗議して9千人の労働者がストライキに突入。他の日系の21工場に波及し、約4万人が参加。工場側が要求の一部を受け入れて終結(~31日)。

3.12 孫文が北京の停戦会議に出席中に急死。4.12の追悼大会に10万人が参加。

5.15 内外棉工場で警備員の発砲により労働者代表の顧正紅が死亡、10数人が負傷。

5.30 「五・三〇事件」発生。公共租界各所で反日の宣伝活動を行った学生100人余りが逮捕される。

5.30 学生逮捕に抗議して押しかけた学生、市民に警官が発砲、13人が死亡、多数が負傷。

5.31 抗議運動の中で上海総工会が成立。執行委員長李立三の指揮の下に全市20万人の労働者のストライキを行う。

6. 4 中国共産党が『熱血日報』を発行。瞿秋白が編集を担当。鄭振鐸、葉聖陶、胡愈之などは『公理日報』を発行し、反帝闘争を呼びかける。

6.12 五・三〇死難烈士追悼大会に20万人が参加。

6.22 奉天軍が上海に進駐。戒厳令を敷き、集会、デモを禁止し、総工会などを封鎖。

7.  広州に国民政府が成立。

10.16 奉天軍が撤退し、孫伝芳軍が上海に進駐。戒厳令が解かれる。

1926年

3月 北京で「三・一八事件」が発生。

3.  金子光晴が初めて上海に来る。

10.24 上海第一次武装蜂起が失敗に終わる。

11.  南国電影劇社がソ連映画『戦艦ポチョムキン』の試写会を開催。ソ連映画が初めて紹介される。

1927年

1. 1 公共租界の会審公廨の閉鎖が決定。上海公共租界臨時法院が成立

2.19 上海の労働者がゼネストに突入。ついで第二次武装蜂起を決行するが、失敗に終わる。

3.21 第三次武装蜂起。激闘の末に孫伝芳軍を駆逐、白崇禧率いる北伐軍を迎え入れ、上海臨時特別市政府を樹立。

4.12 蒋介石が「四・一二クーデター」を発動、各所の総工会、工人糾察隊の拠点を襲撃して労働者の武装を解除する。

社会主義的労働運動の台頭を懸念した浙江財閥が、蒋介石と提携し「上海クーデター」を決行したとされる。

4.13 工人糾察隊を中心とするデモ隊に蒋介石軍が発砲、多数の死傷者が出る。

4.18 蒋介石が南京に国民政府を樹立。以後、共産党とその支持者に対する弾圧(清党)を行う。

4月 茅盾が虹口に隠れ住み、中編小説『幻滅』を書く。その後葉聖陶、のちに周建人(魯迅)が虹口に移ってくる。

7.07 上海、中華民国(北京政府)の特別市となる。 上海の人口が360万人に達する。工部局職員は7千名、租界警察も5千人に達する。日本人数は2万6千人に達し、外国人中最多となる。虹口(ホンキュウ)が最大の拠点として日本人街化する。

10. 5 魯迅が初めて内山書店を訪れる。

10.24 共産党機関誌として「ボルシェビキ」が創刊される。編集委員会主任は瞿秋白。32年まで存続する。

12.01 蒋介石と宋美麗が結婚。マジェスティックホテル(大華飯店)で披露宴。当時下野していた蒋介石を支援するために、上海で秘密結社「中央倶楽部」(Central Club)が結成される。陳果夫、陳立夫兄弟が指導。のちにCC団と呼ばれるようになる。

1928年

4.  横光利一が上海を訪問。帰国後、長編小説『上海』を執筆。

5. 3 「済南事件」が発生。日本軍が山東省済南を占領。これに抗議して学生、市民、労働者が反日運動を展開。

5.22 約200人の日本軍兵士が在留日本人の保護を理由に虹口を武装行進。

5.30 「五・三〇運動」三周年を記念して南京路で約1万人の反日デモが行われる。

8.  中国共産党中央政治局、商店を装って開設。周恩来が執務する。1931まで存続。

11.  尾崎秀実が大阪朝日新聞上海支局に着任。この年エドガー・スノーも上海に入る。

* 中国人納税者会の運動の結果、参事会に中国人枠(定員9名中3名)が認められる。租界税収の55パーセントは中国人によるものであった。また共同租界内とフランス租界内の公園が中国人にも開放される。

1929年

4.28 国民党政府、上海総商会を閉鎖。新たに上海市特別総商会を作る。のちに上海市商会と改称。

5.  アグネス・スメドレーが上海に来る。同じ年、エドガー・スノーも上海で新聞記者の活動を開始。

7. 8 上海—南京の航空路線が運行開始。中国最初の航空路線。

8.24 彭湃が上海市内で逮捕される。30日に処刑。

1930年

1.  ゾルゲが上海に来る。

2.16 魯迅、馮雪峰、田漢、夏衍、鄭伯奇、蒋光慈など12人が左翼作家連盟の準備委員会を立ち上げ。

3. 2 中国左翼作家連盟(略称:左連)が中華芸術大学で成立大会を開く。

5. 6 @代英が上海市内で逮捕される。翌年に処刑。

7. 1 上海特別市が直轄市となり上海市に改称。

上海1930
            上海 1930年

10. 4 魯迅と内山完造、世界版画展覧会を開催。

10. 9 国産品ファッションショーがマジェスティックホテルで開かれる。

10.  中国左翼文化界総同盟(略称:文総)が成立。総書記は潘漢年。

11. 8 「日支闘争同盟」が市内の建物に反戦スローガンを書く。「日支闘争同盟」は日本人記者、学生、中国人同志からなる反戦組織。

* 青幇(チンバン)、杜月笙の下で最盛期を迎える。杜月笙は「夜の帝王」と呼ばれる。

1931年

1.17 左連のメンバー36人が逮捕される。その内の24人が処刑される。

1.  鹿地亘が剣劇団にまぎれこんで上海に渡る。

6.  瞿秋白が上海市内に潜入。

6月15日 ヌーラン(牛蘭)事件が発生。プロフィンテルンの上海支部のイレール・ヌーランが共同租界警察により逮捕される。

8.17 @寅達が上海市内で逮捕され、処刑される。@寅達は中国国民党臨時行動委員会(別称:第三党)の領袖であった。

9.18 満州事変が勃発。

9.20 湖風書局が開業。左連の雑誌を刊行。

9.22 5千人参加の反日市民大会、「上海抗日救国連合会」の結成を宣言。日本軍の駆逐と占領地の回復、救国義勇軍の組織、対日経済断絶を決議する。

9.24 3万人の港湾労働者が反日ストライキに突入。約10万人の学生が授業をボイコットして反日運動を展開。上海全市で反日・抗日運動が展開される。

9.26 800の団体の20万人が抗日救国大会を開く。郵便、水道、電気、紡績、皮革など約100の労働組合がストライキに入る。

10.13 上海抗日救国連合会、日本および日本人との関係断絶を決議。日貨検査隊が組織され、日貨を扱った中国商人は容赦なく処罰される。

10月 『支那小説集阿Q正伝』が日本で出版される。

10.27 南京、広州両国民政府が上海で「南北和平統一会議」を開催。

12. 6 北上して抗日軍に加わる280人余りの青年が出発。1万人が見送る。

* ニム・ウェールズ(寧謨・韋爾斯 Nym Wales)が上海に来る。ニム・ウェールズの本名はヘレン・フォスター・スノーでエドガー・スノーの妻。上海でジャーナリストとして活動中、招請を受け37年に延安入りした。

1932年

1. 1 蒋介石と汪精衛の合議により新国民政府が成立。1月5日に広州政府を解消。

第一次上海事変

1.18 日蓮宗(妙法寺)の托鉢寒行の僧侶が楊樹浦で中国人に襲撃され、1人が死亡、2人が重傷を負う。この事件をきっかけに日中両軍が臨戦態勢に入る。

上海公使館附陸軍武官補田中隆吉の証言: 板垣大佐に列国の注意を逸らすため上海で事件を起こすよう依頼された。これに従って自分が中国人を買収し僧侶を襲わせた。

1.22 日本は巡洋艦2隻、空母1隻、駆逐艦12隻、925名の陸戦隊員を上海に派遣。駐留部隊1千に加え増援部隊1700名を上陸させる。

1.28 第一次上海事変が勃発。日本海軍陸戦隊、虹口から北四川路に進出し、閘北一帯で19路軍と戦火を交える。市民の支援を受けた第78師が、国民政府の戦闘回避の指令を無視して抗戦。市街戦が始まる。

1.31 日本軍は、巡洋艦4隻、駆逐艦4隻、航空母艦2隻、陸戦隊約7000人を追加派遣。

2.02 予想外の苦戦に驚いた日本政府は、陸軍第9師団と混成第24旅団の派遣を決定。国民政府も第5軍(第87師、第88師など)を作戦に加える。

2.22 総攻撃が開始される。作戦は多大な犠牲者を出し難航。このため新たに上海派遣軍(第11師団、第14師団その他)が編成される。

3.01 満州国建国宣言。

3.02 日本軍増派を受けて、第十九路軍は後方に総退却、事実上の終戦。 日本人在留民自警団による暴行・虐殺が非難を浴びる。中国人難民が租界へ流入。路上には病死・凍死者が屍を晒す。

3.06 国民政府、停戦声明を発表。

3.24 上海市内のイギリス領事館で日中停戦談判が始まる。

3.  藍衣社が成立。正式名は中華民族復興社。ファシストの黒シャツに真似た青シャツを制服としたことから藍衣社と呼ばれる。

戴笠(たいりゅう)が中心となり、黄埔軍官学校出身者を組織化。蒋介石の親衛隊と位置づけられた。政治結社であるCC団とは異なり準軍事組織としての性格が強い。
在中ドイツ軍事顧問団団長のハンス・フォン・ゼークトの指導を受け、日本軍占領地の破壊ゲリラ活動、親日政府要人暗殺などの抗日テロ活動を行う。
南京に本部を置く。上海支部は南市、閘北、フランス租界、公共租界の四つの情報班と一つの行動班で構成された。

3.  丁玲、田漢ら、瞿秋白の立ち会いのもとに共産党に入党。

4.29 朝鮮「愛国団」の尹奉吉、虹口公園で挙行された天長節式典に爆弾を投擲。出席していた白川義則上海派遣軍司令官が死亡、第九師団長植田謙吉、日本公使重光葵などが重傷を負う。

5.05 英米仏の勧告のもと、上海停戦協定が調印される。日本軍の撤退および中国軍の駐兵制限(非武装地帯の設置)で合意。

7.17 共産党が反帝抗日大会を開く。参加者95人が逮捕される。

8.19 抗日映画『共赴国難』が公開される。

10.15 陳独秀が逮捕され、5年間にわたり勾留される。

12.17 中国民権保障同盟が発足。宋慶齢、蔡元培、楊杏仏などが発起人となる。

* 蒋介石は共産党への弾圧を強化。陳兄弟の率いる「特工総部」(特務工作総部)が先頭に立つ。

* パラマウント(百楽門舞庁)が開業。当時最も豪華なダンスホール。

1933年

2. 9 中国電影文化協会が成立。夏衍、田漢、洪深、鄭正秋、蔡楚生、孫瑜などが執行委員となる。

3. 6 魯迅と瞿秋白は共同作業を開始する。

3. 故宮の文物総計19557箱25万件が上海に運ばれ、フランス租界の某所に厳重に保管される。日本軍の手に渡るのを恐れて移送したもの。

5.14 左翼作家の丁玲が自宅から国民党特務機関に拉致される。南京に護送され、約3年間軟禁される。

5.  上海華商証券交易所が上海証券交易所を合併吸収し、極東最大の証券取引所となる。

6.18 中国民権保障同盟副会長の楊杏仏が国民党特務によって中央研究院前で暗殺される。

7.  何凝(瞿秋白の偽名)編の『魯迅雑感選集』が出版される。

8.  日本の上海海軍特別陸戦隊本部の建物が完成

33年 福建革命が起きる。第十九路軍の便衣隊は、中国共産党とともに上海で反蒋介石暴動を企画するが発覚。

1934年

1.15 張学良(当時上海在住)が談話を発表し、和平統一を主張。

2.19 国民党上海市党部が149種の新文芸と社会科学の書籍、76種の刊行物の出版・発行を禁止。

3.  電通影片公司が開設。左翼映画運動の拠点となる。

4. 1 上海に二階建てバスが初めて走る。

9.27 梅蘭芳、馬連良出演の歴史愛国劇『抗金兵』が初演。

11.13 申報館総支配人の史量才が国民党特務に暗殺される。史量才は「一・二八事変」では第十九路軍を積極的に支援し、その後も民権保証同盟の活動を支援していた。

11.30 魯迅が内山書店で初めて蕭軍、蕭紅(北東部出身の小説家夫婦)と会い、以後の生活を援助。蕭軍の中編小説『八月的郷村』と蕭紅の中編小説『生死場』の出版を実現する。

12. 1 パークホテルが落成。当時、上海で最も高い建物となる。ブロードウェイマンションが落成。外国人用のアパート兼ホテル。

12.05 ベーブ・ルース一行が来訪。中国チームと対戦し、22対1で大勝。

12.14 日本海軍陸戦隊2,500名が虹口の蘇州河両岸で実戦演習を強行。1ヶ月後には虹口、楊樹浦一帯で市街戦の演習を行う。

* 日本が全国的な凶作となる。

1935年

2.19 共産党上海中央局書記黄文傑をはじめ、田漢、陽翰笙など36人の共産党員が逮捕される。

5. 1 ラジオ放送が全国一斉に国語(北京語)になる。上海の各放送局も国語による放送を開始。

5.24 『風雲児女』(電通影片公司、監督:許広之)が公開。その主題歌『義勇軍行進曲』(作詞:田漢、作曲:聶耳)は広く歌われるようになり、新中国成立時に中華人民共和国国歌に制定された。

6.24 雑誌『新生』(週刊)が日本の天皇を侮辱する文章を載せたとして停刊処分を受け、総編集者兼発行人の杜重遠が懲役1年2ヶ月の判決を受ける。

8.  上海体育場が完成。その規模と施設は東アジアで一番といわれた。

11月9日 上海共同租界で、日本海軍陸戦隊の中山秀雄一等水兵が中国人により殺害される。第十九路軍の便衣隊による犯行とされる。事件後には、日本人が経営する商店が襲撃される。この後日本人居留者の暗殺事件が相次ぐ。

11.16 『大衆生活』(週刊)が創刊される。抗日統一戦線の主張を展開して読者を獲得し、毎期20万部発行という記録を作る。

12. 9 北京で抗日を要求する学生が弾圧される。上海でも各界に救国運動が広がる。

12.12 上海文化界の283人 が連名で「上海文化界救国運動宣言」を発表。

12.14 上海各大学学生救国連合会が成立。

21日 上海婦女救国会が成立。

12.23 復旦大学の学生約1,000名の請願団、首都南京に向かおうとする。上海北駅に押しかけ、列車が全線ストップ。さらに他の大学の約2,000名も加わる。

12.25 学生たちが列車に分乗して南京に向かうが、途中で阻止される。

12.27 上海文化界の約300人が集会を開き、上海文化界救国会が成立。

1936年

2.14 中国航空公司が上海—ハノイ間の航空路線を開設。中国最初の海外航空路線。広州経由でハノイに飛び、ハノイからフランス航空公司の欧州路線に接続。

2.17 国民党政府が「緊急治安法令」を公布。

3. 8 上海婦女救国会、上海女青年会など七つの団体が国際婦人デー拡大記念大会を開き、抗日救国を主張。

4. 22 張学良が西安から上海に来て潘漢年と会談。

4.  馮雪峰が解放区から上海に着き、地下の共産党組織との連絡を回復。

5. 5 映画スターの唐納と藍萍(江青)が結婚。他のスターたちと、合同結婚披露宴を行う。

5.31 全国各界救国連合会が結成される。華北、華中、華南と長江流域60数地区から救亡会の代表70数人が結集し、「抗日救国初歩政策」を策定。内戦を停止し一致団結して抗日にあたるよう主張。

5.  上海の文学界で「国防文学論争」が展開される

7.15 救国会の沈鈞儒、陶行知、章乃器、鄒韜奮の四人が抗日救国を要求する公開書簡を発表。

9.20 魯迅、茅盾、郭沫若、林語堂、包天笑、周痩鵑など21人が連名で「文芸界の団結と言論の自由のための宣言」を発表。抗日救国に向けて文芸界の統一戦線の成立を促す。

10.19 魯迅が自宅で死去。数万人が告別に訪れる。「民族魂」と書かれた錦の旗で覆われた棺が沿道を埋めた市民に見送られる。

11. 8 日本系の紡績工場で労働者が賃上げ、労働条件の改善などを要求して大規模なストライキを行う。日本海軍陸戦隊、工部局警察などが出動し、双方に負傷者 が出る。

11.28 紡績工場のストライキ、上海地方協会と総工会の調停により、工場側が労働者の要求をほぼ認めて妥結。

11.22 全国各界救国連合会の指導者、沈鈞儒、鄒韜奮、章乃器、李公樸、王造時、史良、沙千里が逮捕・投獄される(「七君子事件」)。翌年7月に釈放。

12.12 「西安事変」発生。

* エドガー・スノーの「中国の赤い星」が出版される。F.D.ルーズベルトは『赤い星』の愛読者だったが、当時のスターリニストからは批判の対象となった。

1937年

1. 1 上海—南京間に特急列車「首都特快」が運行。座席数378、時速80キロ。

6. 3 日独合作映画『新しき土地』が公開。日本軍の中国侵略を正当化している場面があると上海文化界が抗議し、上映中止となる。

7.07 盧溝橋事件が勃発。華北で全面戦争が始まる。上海各界抗敵後援会、中国婦女抗敵後援会、上海文化界救亡協会など各種の抗敵救亡団体が結成され、激しい抗日運動が展開される。

7.18 魯迅記念委員会が創設。宋慶齢、蔡元培、茅盾、許広平、スメドレー、内山完三、秋田雨雀など70数人が参加。

7月 虹口地区でふたたび緊張が高まり、数十万の市民が租界地区に逃れる。

8. 7 上海劇作家協会が完成した大型演劇『盧溝橋を守れ』が上演され、連日満員となる。

第二次上海事変

8.09 日本海軍陸戦隊の大山勇夫中尉らが虹橋飛行場でピストルを乱射。中国兵が反撃して射殺。この事件をきっかけに日中両軍間の緊張が高まり、双方が臨戦態勢に入る。

8.13 日本軍が閘北に侵攻し、中国軍が応戦。第二次上海事変が勃発。緒戦は数で勝る中国軍が優勢だったが、松井石根大将を司令官とする上海派遣軍が呉淞口などに上陸してから、戦況は日本側に傾く。

8.14 中国空軍機が誤って落とした爆弾が、共同租界中心部の繁華街で爆発。約二千人の死傷者がでる。

8月15日 蒋介石が陸海空の総司令官に就任。中国全国に総動員令が発せられる。

8.23 日本軍機の爆撃で市民173人が死亡、549人が負傷。

8.29 日本軍機が上海南駅を爆撃、市民約250人が死亡、500人余りが負傷。

8.24 『救亡日報』が創刊。郭沫若が社長。統一戦線的な編集委員会によって編集・発行され、11月22日まで上海での発行を続ける。

9. 7 宝山の中国軍守備隊が全滅。日本軍の上海包囲網が狭まる。

9. 9 蔡元培、宋慶齢、胡適など中国文化界の著名人が連名で世界各国の文化界に中国の抗戦に対する援助を呼びかける。

9.22 緑川英子が抗戦活動に参加し、日本のエスペランチストに反戦を訴える公開書簡を送る。

10.31 謝晋元率いる第85師団524連隊の「八百壮士」、倉庫に立てこもり、四昼夜にわたって日本軍の猛攻を撃退。その後撤退して租界に入る。

11.11 相次ぐ増派の末、日本軍が浦東を制圧。租界内に撤退した中国軍は工部局により武装解除される。南市守備軍が撤退。上海の華界が全て陥落し、租界が「孤島」となる。

11.21 租界内で中国人が行使していた行政権を代行することを日本が宣布。

11月 参謀本部第2部(情報部)に第8課(宣伝謀略課)を設置。影佐が初代課長に就任。民間人里見甫を指導し中国の地下組織・青幇(チンパン)や、紅幇(ホンパン)と連携し、アヘン売買を行う里見機関を設立。阿片権益による資金は関東軍へ流れたという。

12. 3 日本軍約6,000人が租界を示威行進。沿道から手榴弾が投げ込まれ、日本兵3人ほか市民数人が負傷。犯人は巡査に撃たれて死亡。

12. 5 日本が上海大道市政府設立。

12.13 2週間の攻防戦の末、国民政府の首都南京が陥落。蒋介石は南京を脱出し武漢に政府を樹立。

12.14 日本軍報道部が租界内の中国語新聞に対して検閲を実施することを宣布。これに抗議して『申報』『大公報』『時事新報』『国聞周報』などが自ら停刊。

12.  南京大虐殺事件が発生。日本軍が兵士、市民を殺戮する。

12月末 王克敏を首班とする南京臨時政府が樹立される。

1938年

1.25 『文匯報』(日刊)が創刊。抗日の姿勢を堅持し、39年5月10日まで発行を続ける。

1月 近衛内閣、「爾後国民政府を対手にせず」と声明。トラウトマン和平工作は流産。国民党、共産党系のテロ組織が上海市内での抗日テロ、漢奸狩りを一斉に開始。

CC団 陳其美の指導のもとに甥の陳果夫、陳立夫の兄弟が設立。国民党中央執行委員会付属の調査統計局の傘下に入ったことから「中統」の略称でも知られる。
藍衣社 ムソリーニの親衛隊に真似て藍色の中国服を制服としたことから俗称された。正式名称は中華民族復興社。後に軍事委員会調査統計局に属したこ とから「軍統」の名でも知られる。軍統の戴笠副局長が直接指導し、CC団とは異なり、独自のビジョンを持たないテロ組織である。
杜月笙ら青幇(ちんぱん)を引き入れて「蘇浙行動委員会」を組織、その下部に「忠義旧国軍」を置く。組織員数は1万人にのぼったとされる。知日、親日派の軍人・政治家をターゲットとするテロに集中。残虐な手口で恐れられた。

2.26 日系テロ集団黄道会、『社会晩報』社長の蔡鈞徒、滬江大学校長劉湛恩らを暗殺し、首を電柱に吊るす。

3. 1 エドガー・スノーの『Red Star Over China(中国の赤い星)』の中国語訳が書名を『西行漫記』として復社から出版。

3月 南京臨時政府に代わり、梁鴻志を首班とする維新政府が成立。国民の支持は皆無。

4.  日本軍による放送監督所の設置に反発して23の民間ラジオ局が登録を拒否し放送を停止する。

6.15 魯迅記念委員会編纂の『魯迅全集』全20巻が復社から出版。

7.07 盧溝橋事件1周年。上海各区の憲兵隊詰め所に手榴弾のプレゼント。

7月 満州国建国で暗躍した土肥原機関が上海の重光堂に居を構え、傀儡政権樹立に備え政治工作を開始。

9.30 藍衣社が唐紹儀を暗殺。唐紹儀は国民党の要人で、日本軍が傀儡政権に担ぎ出そうとしていた。

10.10 八路軍駐滬弁事処が『文献』(月刊)を創刊。主編は銭杏邨(阿英)。

10.19 ユダヤ難民援助委員会が成立。ナチスの迫害を逃れて上海に着いたユダヤ難民を受け入れる。

10 参謀本部ロシア課の小野寺信中佐が上海に「小野寺機関」を設立。独自に蒋介石との直接和平の可能性を探る。この時点で和平工作は土肥原機関の傀儡政権づくり、影佐らの汪兆銘擁立、小野寺機関という3つのオプションが並行していた。

11.20 汪精衛の密使と日本側代表今井武夫らが「重光堂会談」。カイライ政権の樹立をめぐり協議。2年以内の日本軍の撤兵を引き換えに様々な要求が突きつけられる。

11月 御前会議では「重光堂会談」とはまったく異なる方針「日支新関係調整方針」が定められる。①日本軍の駐屯、②中国人による中央政府の否認、③撤兵時期は明示しない

12.18 汪兆銘が国民政府から離反。重慶を脱出し空路ハノイに向かう。CC団幹部の周仏海、梅思平らが汪兆銘に従う。

12月 上海各界救亡協会が民衆慰労団を組織。その第一陣が皖南(安徽省南部)の新四軍の駐屯地に向けて出発。

* 蒋介石は軍事委員会調査統計局を改組し、CC団系の中央調査統計局(中統)と藍衣社系の軍事委員会弁公庁調査統計局(軍統)に分割する。

* ナチスに追われたユダヤ人難民が上海に大量流入。2万人に達する。

1939年

1. 4 『申報』が皖南の新四軍を紹介する記事を連載(~15日)。『大美晩報』特派員ジャック・ベルデンが提供したもの。

2月 国民政府の軍統幹部、丁黙邨(ていもくそん)と李士群が土肥原機関の晴気慶胤少佐に接触。和平救国のために重慶テロへの対策を進言。支援をもとめる。李士群は元共産党員。

2月10日 参謀本部の影佐軍務課長はただちに丁黙邨らの計画を承認。同時に汪兆銘擁立と土肥原機関の解体を指示。

3月 参謀本部の承認を受け特別工作がスタート。共同租界のイタリア警備区域に接する越界路区であるジェスフィールド路76号(極司非爾路76號)に本部を確保する。工部局の警官を引きぬき、チンピラをかき集め300名の部隊を確保。


   ジェスフィールド七六号跡 

4.15 ニム・ウェールズの「赤い中国の内側」が、『続西行漫記』として復社から出版される。

5.06 重慶を脱出してハノイに逃れていた汪精衛が日本船北光丸で上海に着く。

5.08 汪精衛と丁黙邨・李士群が会見。76号を汪政権の特務工作総司令部(特工総部)とすることで合意。丁黙邨が上海の国民党の懐柔、李士群がテロ組織の弾圧に当たる。

丁黙邨は中央執行委員・常務委員に任命される。「76号」は正式な政府機関となり、国民党中央委員会特務委員会特工総部と称する。

6.06 閣議で汪兆銘擁立工作が正式に承認される。これを機に小野寺機関は解体される。

8.22 影佐禎昭、支那派遣軍総司令部付となる。汪精衛政権の擁立に向け工作機関を組織する。本部を梅花堂に設けたので「梅機関」と呼ばれる。

8.28 汪兆銘が招集した国民党第6次全国国民代表大会が開催される。76号が会場に当てられた。

9. 5 汪精衛が国民党第6期1中全会を召集、国民党カイライ派の中央が成立。

10.19 抗日軍支援の活動を行った中国仏教会会長円瑛法師が、日本憲兵隊本部に連行される。

12.12 中国職業婦女倶楽部主席の茅麗瑛、「76号」の特務に暗殺される。

12.15 日本軍が租界への米の搬入を禁止。米の価格が高騰し、市内各所で米騒動が起きる。

12.23 丁黙邨、鄭蘋茹に誘われ、市内の毛皮店に入る。暗殺者に気づき防弾車で逃亡。これを機に丁黙邨は失脚。

12.30 汪精衛と「梅機関」との間で「日汪密約」が調印される。

1940年

2月 鄭蘋如、銃殺刑に処せられる。「顔は撃たないで」と懇願し、後頭部に銃弾を受けたという。

3.29 汪精衛政府と横浜正金銀行が4000万元の「政治借款契約書」を交わす。

3.30 汪兆銘新政権が南京で成立。重慶からの「遷都」を称する。

3月 「梅機関」が解散。影佐は汪政府の軍事最高顧問に就任する。

6.14 7人の外国人記者が汪精衛政府から国外退去を命ぜられる。

7.25 女性実業家方液仙が「76号」の特務に暗殺される。汪精衛政権成立時に実業部長への就任要請を拒絶したためとされる。

8. 2 上海白ロシア僑民委員会主席メツラー、日本軍特務機関により暗殺される。

8.14 日本軍と関係を深めていた張嘯林が暗殺される。

8.19 上海駐留イギリス陸軍の撤退が宣布される。

10.11 上海市長傅筱安が虹口施高塔路の自宅で暗殺される。

1941年

3.21 中国銀行職員宿舎が「76号」の特務に襲われ、約200人が連行される。重慶側特務のテロ活動の停止を釈放の条件とし、4月8日までに全員が釈放。

4.24 「八百壮士」の残軍の指揮官謝晋元が刺殺される。弔問者は約13万人にのぼる。

5.10 日本海軍陸戦隊、蘇州河の小型運搬船約250艘を沈める。抗日分子の捜索を理由とする。

6.17 工部局警察特別警視副総監赤木親之が重慶側の特務に狙撃され死亡

8.28 日本軍が租界の外周に鉄条網をめぐらし、中国人の夜間の虹口、楊樹浦への通行を禁止する。

11.28 アメリカ海兵隊が上海から撤退。

12. 8 太平洋戦争が勃発。日本軍は公共租界を占領し、市内各所に歩哨所を設ける。

12.15 許広平(魯迅夫人)が日本憲兵隊本部に連行される。何度も拷問を受けるが内山完造の尽力により3月1日に釈放。

1942年

1.  日本軍が公共租界のイギリス、アメリカの7つの公共事業関係の企業を接収。3月までに82の外資系企業と15の外資系銀行を接収・管理。永安、先施、新新、大新の四大デパートも日本の軍事管理下に置かれる。

6.  上海のすべての地区のラジオ所有者が登録を義務づけられる。

8.12 日本陸海軍防空司令部が灯火管制を敷き、広告や装飾用のネオンが消える。

9. 3 警務処に音楽検査科が開設され、ダンスホール、ナイトクラブなどで演奏される曲の検査を始める。アメリカ、イギリスの曲や「何日君再来」などが禁止される。

10.16 日本軍が「敵性国」居留民の娯楽施設への立ち入りを禁止する条例を発布。このため映画館、ダンスホール、ナイトクラブなどが次々と営業停止に追い込まれる。

11.  日本陸海軍司令部が「敵性国」居留民の短波ラジオ、カメラ、望遠鏡を没収。

1943年

1. 9 汪精衛政府がイギリス、アメリカ両国に宣戦布告し、日本と「日華共同宣言」を発表。

1.  汪精衛政府がイギリス、アメリカの映画の上映を禁止。

7.30 汪精衛政府が仏租界を接収。続いて 8月 1日に公共租界を接収。この時点で上海在留日本人は10万人に達する。

9.9 特工総部の権力を独占した李士群、反対派の手にかかり毒殺される。腐敗堕落した特工総部への怒りのためとされる。

1944年

2月 英中友好条約が締結。イギリスは中国に租界を「返還」する。

3. 3 日本陸海軍防空司令部が市内に戦時灯火管制を敷く。

6.12 米軍機が初めて上海上空に飛来。

6.  武田泰淳が上海に来て中日文化協会に着任。

11.10 汪精衛、銃創の悪化により日本の名古屋で病没。12日、陳公博が代理政府主席兼行政院院長に就任。

1945年

1.15 周仏海が上海市長兼警察局長に就任。

5.  李香蘭(山口淑子)のリサイタルが開かれる。

7.17 米軍機約60機が滬東を空襲。23,24日には約100機が市内を空襲。

8. 1 ソ連映画『スターリングラードの戦い』が公開される。

8.11 日本が降伏するとのニュースが伝わり、パークホテル【3-C3】の屋上に青天白日旗が翻る。

8.15 日本が無条件降伏。上海全市が歓喜に沸き返る。

8.18 米軍が上海に上陸。20日、米軍陸軍使節団が上海に到着。

9.初 湯恩伯率いる国民党政府軍第三方面軍が上海に入る。

9.12 日本の降伏調印式が行われる。14日から日本軍の武装解除が始まり、約15万の将兵が江湾と浦東の集中営に収容される。

* 工業消費電力はピーク時(36年)の4割に低下。中国人経営の工場の生産は事実上停止。

1946年

4.  中国共産党中央上海局が成立。劉暁が書記、劉長勝が副書記。

8.20 ミス上海のコンテストが開催される。

10. 2 ブロードウェイ・マンションが国防部に接収され、右翼団体励志社の上海本部となる。

1947年

1.  輸入品販売店が急増し、アメリカ商品が市場を独占。

2. 9 「国産品愛用・アメリカ商品規制運動」の大会に国民党特務が乱入し死者1名、負傷者数十名。

5.19 上海の14の大学の学生約7000人が「反内戦、反飢餓」の集会を開き、デモ行進を行う。

5.末 国民党が軍隊、警察を大量動員して市内の各大学を捜査し、多数の学生を逮捕。これに対して学生、教師が授業をボイコットし、市民の支援も得て抗議運動を展開。

7月 丁黙邨、死刑となる。

10月 川島芳子、国民党政府により処刑される。

1948年

1.末 申新棉紡績廠で7千人の労働者がストライキに入り、警官隊と衝突し、200人余りが逮捕される

8.  蒋経国が経済管制委員会の督導員として着任し経済管制を敷く。物価の凍結、隠匿物資の摘発、汚職官吏の処罰などの「打虎運動」を実行するが、11月に南京に召還。

12. 7 中央銀行に金銀への兌換を求める群衆が押しかけ大混乱となる。蒋介石は中央銀行の現金を台湾に移させる。

1949年

2.25 国民党の最新型巡洋艦重慶号が艦長以下574名の将兵ともに解放区へ亡命。

2月 各大学に「応変委員会」が作られ、糾察隊、儲糧隊、救護隊、宣伝隊が組織される。

4.14 上海市長呉国禎が台湾に逃亡。

4.22 人民解放軍が南京に入城。国民政府の機関と要員が上海に移る。淞滬警備司令部が上海が戦時状態に入ったことを宣布し、全面軍事管制を敷く。

5.12 陳毅率いる人民解放軍第三野戦軍が上海攻略作戦を開始。

5.27 人民解放軍が上海全市を「解放」し、上海市軍事管制委員会が成立。

5.28 上海市人民政府が成立。陳毅が市長に就任。

7. 6 百万人を超える兵士、市民が上海の「解放」を祝って市内を行進。

10.10 中華人民共和国が成立。外国資本は香港に撤収する。数10万人の資本家や秘密結社の構成員、文化人、技術者、熟練工が香港にうつる。「魔都上海」の終焉。