恐るべし、ニコライ・メトネル

リャードフ、リャプコフ、レビコフと聞き進んできてニコライ・メトネルに入った。

レベルが違うと感じた。一番の特徴は「駄作」がないということである。それだけで驚異だ。

もちろんYou Tubeで全曲が聞けるわけではないから、「駄作」率は分からない。

しかしリャードフ、リャプコフの場合少なくとも半分は聞く必要のない曲である。レビコフだと8割は無意味な曲だ。アントン・ルビンシュテインはほぼすべてが駄作だ。

スクリアビンもラフマニノフも、ロシア革命の頃で終わっている。後期の曲は聞くだけ無駄だ。(スクリアビンは革命前に死んでしまったが)

ドイツの「楽聖」と呼ばれる人たちでさえ、かなりの駄作が混じっている。シューベルトなど駄作の山だ。

そこへ行くとメトネルの歩留まりは7割を超えている。誇張して言えば、メトネルには駄作がない。

すこしメトネルのBiography を述べておこう。

Nikolai Karlovich Medtner

1880年、モスクワの生まれ。ロシア人と言っても父方・母方とも祖先はドイツ人。モスクワ音楽院でピアノを専攻する。

スクリャービン,ラフマニノフに次第三のスターと注目され、若手ピアニスト兼作曲家として売りだした。

ロシア革命の4年後(41歳)に亡命。各地を転々とした後パリに居を構える。しかしパリでは花咲かず、35年(55歳!)にロンドンに移住し、ここで成功する。遅咲きの極である。

51年にロンドンで死亡。この時71歳。下の写真が1947年、死の4年前である。「心臓死」は当然であろう。

作曲の腕は学生の頃から認められていた。タネーエフは「メトネルはソナタ形式とともに生まれてきた」と言って絶賛した。

曲は「超保守的」で、和音はリストはおろかブラームスより古い。折り目の付け方はバッハ的でさえある。

「スクリャービンの芳醇な香り漂う和声から,ラヴェルの目も眩むようなオーケストレーションへとさまよい,リヒャルト・シュトラウスの耳を劈くような大音響から,ドビュッシーの繊細きわまる微妙な陰影へとさまよっている」(ミャスコフスキー)時代にあって、メトネルの曲は色彩感に乏しい、ドイツ的な音楽と批判されたようだ。

その中で、ミャスコフスキーが一貫してメトネルを擁護した。またラフマニノフは、メトネルを「現代最高の作曲家」と賞賛したそうだ。

(高橋健一郎「ロシア文化史におけるニコライ・メトネルの音楽」より引用)

以下がとりあえずYoutubeで集めた範囲の曲目。

Medtner