アメリカの資本主義とリーマン破綻 小島 秀樹 (実業界2009年1月号所収)

という文章がたいへん良い。

短い文章なので直接お読みいただきたい。以下は私の読後感。

1.グラス・スティーガル法の廃止の背景

この法律は32年、ルーズベルトの大統領就任直後のいわゆる「百日議会」で成立したものなので、ニューディールの一環と見られているが、実際にはフーバー政権末期に上院に提出されたものである。

正式には「銀行法」(Banking Act of 1933)と呼ばれる。①銀行と証券(投資銀行)の分離。②連邦預金保険公社の設立、を柱とする。

というのが私の予備知識。

小島さんによると、

1929年の大暴落を受けて米国議会が出した有名なペコラ委員会報告書に基づく。

フーバー大統領の要請で上院銀行 通貨委員会を設置した。ニューヨーク州検事ペコラはこの委員会の法律顧問として大恐慌の原因をなした不正、政策責任者の間違い、株価操縦、インサイダー取引などを1万2千頁に及ぶ調査報告書であぶり出した。

のだそうだ。

日本の戦後改革でも、この制度は受け継がれてきた。しかし99年に本家米国が規制撤廃すると、日本もこれに倣った。

そこで小島さんが指摘するのは、規制撤廃の是非ではなく、「横並びの競争にするならそのルールをしっかりさせるべきではなかったか」という点である。

2.脱法を恥じないモラル感覚の欠如

小島さんが何故ルールの必要性を強調するのは、自らの弁護士体験にも基づいている。

弁護士としてリーマンブラザーズと対決したり交渉したりして感じたことを一言で言えば、モラル感覚の欠如である。

と切り捨てる。

SOX法というのができて、経営者に財務書類の正確性について責任が求められるようになったが、彼らは実質的な脱法行為をますます強めたそうだ。

小島さんは、「弁護士としてかかる脱法行為に抗議して米大手IT 企業と一触即発の対決をし」たという。そして「SOX法なるものの欺瞞性」を痛感したそうだ。

小島さんの舌鋒は厳しい。

サブプライムローン問題は、そもそも証券化できないものを証券化してリスクを認識できなくしたものを売った。それはまさしくモラルに反する行為である。

米国経済はそうやって道義的に許せない金融ビジネスに走った。その成れの果てが、リーマン破綻である。さらにそれに続く米国発の世界金融不況である。

つまり小島さんの言いたいのは、モラルの破綻(経営の無法化)が経済の破綻をもたらしたということである。

「経営モラルの破綻」というのは客観的に言えば「経営の無法化」ということになるだろう。

3.経営の無法化はいかにもたらされたか

小島さんは、経営者の物づくりからの離脱が背景にあるという。

1960年代から80年代にわたって「日米貿易戦争」が繰り広げられた。しかし95年ころを境に「貿易戦争」は論議とならなくなった。

なぜか。

それは米国自身が物づくりから撤退してしまったからである。

米国経済はITや金融等サービス業に特化していった。デリバティブなどの複雑な証券ビジネスに多くの金融機関が参加するようになった。

この後、小島さんは証券ビジネスの実態を厳しく指弾する。

私が接したデリバティブ証券は、完全なマネーゲームの世界であった。あつかう商品の多くは、公序に反するバクチのようなものだった。

ビジネススクールで教えるのは ROE(株主資本利益率)優先の経営であった。そして「小さな自己資本で大きな利益を短期間にもたらす」のが優れた経営者であると教えた。

そうだとすると、どうなるか。

物づくりは原材料の仕入があり利 益率はどうしても低い。結果、彼らが選んだのは仕入がない金融を筆頭とするサービス業である。

こうして米国経済は益々物づくりから離れ、実体経済と何の関係もないバクチのようなマネーゲームに邁進していった。

4.結論

もう一度、小島さんは米国の金融資本主義を厳しく断罪する。

…、という意味でレベレッジ(一種の信用取引)とかの手法の問題以前に、実体経済との関係が希薄となったマネーゲームが醸成する、モラルを著しく欠いた米国の金融資本主義が問われるべき問題なのである。

ということで、私の感想としては、「ルール無き無法状態」を一刻も早く解決して金融資本を厳しく規制することが、混迷に陥った現在の世界経済を救う唯一の道だということである。

それは85年前のペコラ委員会の結論と同じだ。「85年前から進歩していないじゃないか」と言われそうだが、そうではない。

第二次世界大戦の惨禍をくぐり抜けて、人類はいったん進歩したのだが、一時的な退歩を今繰り返しているということだ。

道ははっきりしている、経験もある。今はただ、ふたたび進歩への道を歩み始めるのみだ