三浦淳史さんの「レコードを聴くひととき」という本がある。1979年の出版だ。多分古本屋で買ったものだろう。
いつ買ったものやらわからないが、開くのは間違いなく初めてだ。

この三浦さんという人1913年(大正2年、私の親父より一つ上)の生まれだが、経歴がどうもいい加減だ。34年に北大予科在学中に伊福部、早坂らとともに新音楽連盟を結成したとある。
つまり21歳のことだ。21になって予科でウロウロしているというのがそもそも変だ。第一不景気の真っ最中だ。
それでもって東北大学の法文学部に進学したのだが、そこを卒業したのはなんと1940年。もう27歳だ。
それで、そのまま音楽評論家ということになるのだろうか。とんでもねぇ非国民だ。
ただあの頃は洋楽の知識があるとそれだけでも飯が食えたようで、親父の蔵書にも野村あらえびすの音楽本があって、私もむさぼり読んだことを思い出す。
洋楽フアンというのはコンサートに通う都会のお金持ち、レコードを買う田舎のお金持ちのほかに、音楽など聞けずに音楽にまつわる話を書いた本を読んでは、ひたすら音楽に憧れていた貧乏人、という階層があって、こういう下層階級が音楽文化を支えていたんですな。
私も高校時代は図書室のレコード芸術を、見開きの広告から最終ページの編集後記まで毎号読んでいました。貧民音楽フアンの一典型です。三浦さんの海外情報(アメリカ専門でかなりゴシップ的)も「MUST」文章の一つでした。

そんなことを書くはずじゃなかった。
肝心なのはその本の一節です。
ちょっと抜書きしてみます。

オーガナイザーとしてのシュナイダーの歴史に残る業績といえばプラド音楽祭であろう。
プラドというのは西仏国境をなすピレネー山脈のフランス側の小さな村。
そこには世紀の名チェリストパブロ・カザルスが世を捨て隠棲していた。
カザルスといえば、反ファッショ運動、平和運動の名士としても知られる。
しかし、実はカザルスは王党派である。その王党派ぶりは、その談話を見るとまことに微笑ましいものがある。
カザルスの自主的亡命は、スペイン人であるとともにカタロニア人であるカザルスと祖国スペインとの個人的な問題でしかない。

さて、シュナイダーは最初天文学的なギャラを並べてアメリカに呼ぼうとするが、カザルスはカネなどに目もくれない。そこで一計を案じたシュナイダーは、「バッハ生誕200年」ということでプラドで音楽祭を行うという策を考えついた。
「バッハに神を見る」カザルスはこの提案にすっかりはまってしまった。カザルスからOKをとったシュナイダーは、ただちに委員会を結成し、全世界の有名アーチストに参加を呼びかけるなど辣腕ぶりを発揮した。
第1回のカザルス音楽祭は空前の豪華顔ぶれを集めることが出来た。
シゲティ、マイラ・ヘス、クララ・ハスキル、マルセル・デュプレらが辺鄙なピレネーの山懐に集まったのである。

シュナイダーというのはブダペスト四重奏団の第2バイオリンをつとめたアレクサンダー・シュナイダーのことです。
三浦さんはシュナイダーに対してかなり辛辣な評価を浴びせています。

カザルスはシュナイダーを「偉大なバイオリニスト」と褒めているが、この万年第二バイオリンを偉大なバイオリニストと読んだのは、後にも先にもカザルスしかいない。

それにしても、三浦さんの話の胡乱なこと、これでは落第するわけです。