1929年

9.03 ダウ平均株価、5年間で5倍に高騰し381ドルの高値に達する。

10.24 「暗黒の木曜日」 ウォール・ストリートで株価の大暴落(Great Crash)が始まる。モルガン銀行、チェイス国定銀行、国定ニューヨーク・シティバンク社が協調して買い支えに動く。

10.28 「暗黒の月曜日」 ダウ工業株平均は13%下落し株価は崩壊する。

10.29 「悲劇の火曜日」(Tragedy Tuesday) 約1,600万株が取引され価総額140億ドルが消し飛ぶ。株価は9月の約半分に暴落。1週間の損失は300億ドル(米国の年間予算の10倍)に達する。 投資家の資金回収により金融機関や企業が倒産し、その数は4500社に及ぶ。

大恐慌をめぐる数字は、資料によって異なっています。問題は何時までを大恐慌ととるかであり、株価暴落の直接的影響なの か、その後の欧州諸国の動揺、それに対する米国の対応によりもたらされたものまで含めるか、すなわち33年3月のルーズベルトの大統領就任直前までの3年 4ヶ月を含めるかで、相当中身は変わってきます。

1930年

3.06 共産党と労働組合統一同盟(TUUL)の指導で労働者・失業者の全国統一行動.125万人が参加し空前のもりあがり.

5 ケインズ、「The Industrial Crisis 」を発表。

大恐慌を 1.一次産品の国際価格の急速かつ大幅な下落,2.不動産や株式などの実物資産の価格暴落、3.資本主義経済の支柱である金融銀行信用システムの機能不全 という複合的危機と指摘。その原因を「世界的な投資不足により資本財の生産が減少したこと」と分析。各国が一致して公共投資を行い、長期債券市場の信頼を 回復させることを訴える。

あらゆる点で最も効果的な救済策は, 三大債権国の中央銀行が国際的な長期債券市場への信頼を回復させるために,一致して大胆な計画に参加することであろう。これは世界各国における起業や事業活動を復活させ,物価と利潤を回復させるのに役立つであろう

6月 スムート・ホーリー関税法(Smoot-Hawley Tariff Act)が成立。国内産業の保護のため高関税政策をとる。他の国も報復関税で対抗した結果、アメリカの輸出入は半分以下に落ち込む。

フーバー大統領は均衡財政主義にしばられ、結果的に増税や金融引き締めに動いた。この結果、銀行経営が危機に陥り市中への資金供給が枯渇した。

7 TUULのよびかけでシカゴで全国失業者協議会結成.「仕事か賃金を」のスローガンをかかげ大躍進.

30年 エンパイア・ステートビルが完成。映画「キング・コング」の封切りは32年。

1931年

5月 ケインズがアメリカを訪問し講演。三つの不況対策を挙げる。

①資金の貸手と借手の双方の確信の回復を図ること、②政府の直接的な支援により投資を促進すること、③長期利子率の引下げと買いオペを実施すること。

景気の回復とともに物価も必然的に正常水準に戻ってくる。それが貯蓄と投資の均衡の実現である。下落した物価水準のもとで均衡を回復しようとするデフレ容認派は間違っている。

5.11 オーストリア最大の銀行クレディット・アンシュタルトの破綻。ドイツオーストリアでは、アメリカ資本による復興を目指していたため、大不況によって資本が引き上げられると、資金不足により企業や銀行が次々に倒産

6月 米国の銀行危機が農村部の中小銀行から都市部に拡大。シカゴ、ロサンゼルス、ニューヨークで銀行閉鎖が相次ぐ。銀行貸付が停止状態となり, 銀行組織による民間経済への融資機能が麻痺。

6月 深刻なヨーロッパの状況を認識したアメリカは、フーヴァー=モラトリアムを行う。ドイツ経済を立て直すため、一年間戦債や賠償の支払いを猶予.議会の承認は12月にずれ込む。

7.13 ドイツのダナート銀行が閉鎖。大統領令ですべての銀行が閉鎖される。

米国には金が流入していたが、FRBは国内のマネーサプライを増やそうとしなかった。このためマネーサプライが減少し続けた。ヨーロッパ諸国は金の流出を抑えるために金利を引き上げ、これが不況に拍車をかけた。

7月 南部の綿作小作農(シェアクロッパー)が農園からの追いだしに抗議して激しい闘争を組織。黒人指導者ラルフ・グレイが虐殺される。

7 失業者,ワシントンで飢餓行進. フーヴァー大統領は代表者との会見を拒否する.このとき失業者が800万人を超す.

9.11 英国は金本位制を離脱して変動相場制に移行,チープマネー政策を採用。同時に英連邦を高関税で囲い込む。ポンドの対ドル為替レートは3か月で3割低下する。

英国のドイツへの短期貸付が焦げ付いたため、ポンドへの信認が大きく低下。フランスなどへの短期資金(とくに金)の流出が加速する。

9 通貨激変に直面した各国は金買いに走り、これに対抗するため連邦準備銀行は公定歩合を大幅引き上げ。

10 不況下の金利引き上げにより銀行恐慌が発生し,全国に拡大.この年だけで2千以上の銀行が倒産.

10.11 シカゴ連邦裁判所,アル・カポネに対し,所得税脱税で懲役11年,罰金5万ドルの判決.

1932年

3.07 ミシガン州のフォード自動車工場で,職を求めるデモ隊3000人に対して警官が発砲し,4人が死亡.

5.29 復員兵による「恩給行進」が始まる。「17年(第一次大戦)には英雄、32年には浮浪者」と抗議する。

6月 ドイツの賠償金支払猶予をめぐるローザンヌ会議。賠償金減額で合意するが、米議会の同意を得られないまま流産。交渉に失望したドイツではヴェルサイユ体制の打破を訴えるナチスが躍進。

7.02 ニューヨーク州の改革派知事として実績を上げたルーズベルトが、民主党の大統領候補に指名される。「三つのR - 救済、回復および改革」と「ニューディール」(新規まき直し)を掲げる。

7.08 ダウ工業株平均が底値をつける。最高値の1割まで下落する。その後22年間、大暴落前の株価に回復せず。

7月 退役軍人のボーナス行進がワシトンに到着.2万5千人が籠城作戦を展開。D.マッカーサーの指揮する軍がこれを実力排除。籠城参加者に2人の死者を出す(ワシントンの戦闘)。

11.08 大統領選。再選を狙うフーバーを打ち破り、フランクリン・ルーズベルトが圧勝.フーバーと共和党への嫌悪感が主要な勝因であった。

FDRの公約そのものは財政健全化、均衡予算、健全通貨など一般的な公約に停まる。一方で、「忘れられた人々」について言及し、漠然と「ニューディール」を提唱した。

11月 共産党は全国で10万票余りを獲得。移民者を中心に党員数も1万8千に達する。学生運動や労働運動を中心に影響力を拡大。リチャード・ホフスタッターやダニエル・ベルらユダヤ系学生が共産青年同盟に結集。

12月 全国農民救済協議会が設立される。恐慌発生以来、農民の所得は半減し、全国で100万の農民が借金の返済不能となり担保権強制執行を強いられる。

32年 南部の経済は崩壊。シェアクロッパー(黒人小作農)が自動車工場への就職を期待して北部に向かう。

以下に大恐慌の影響を著す数字を列挙する。文献により数字の異同はある。

①基幹産業の生産は半分以下、農産物価格も半分以下に落ち込む。6千近い銀行が破産。平均賃金は50%低下、失業者は1700万人、非正規労働者が数百万人に達する。
②GDPは1919年から45%減少し、株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した

1933年

1.05 憲法修正第22条が成立。アルコールの製造と販売を禁止した修正第18条を撤回する。

1 ナチス,政権をとる.直後に国会焼き討ち事件をでっち上げ、共産党を弾圧。

2.14 ミシガン州で全銀行が営業停止.銀行恐慌が激しさを増す。

2.15 マイアミで,大統領就任式直前のルーズベルトが狙撃される(無事).同席していたシカゴ市長アントン・サーマックは死亡.

3.04 ルーズベルト,第32代大統領に就任.デモやストが先鋭化、国内は激動、資本家・政治家はパニックに陥る。

3.06 ルーズベルト、連邦議会特別会期が招集されるまでの4日間はアメリカの全ての銀行を閉鎖すると発表。

この措置は恐慌を起こすことなく実施された。なぜなら①多くの州は既に銀行を閉鎖させていた。これまでに閉鎖された銀行は1万行近くに及ぶ。②「バンク・ホリデー」と表現することで衝撃が緩和された。③連邦政府が銀行破綻を食い止める姿勢を示したからである。

3.09 「百日議会」が開始。ルーズベルト大統領は議会に緊急銀行救済法を提案。大銀行の連鎖破産を防止することを目的とする。数時間の審議で可決成立する。

政府が一定額までの預金の払い戻し(ペイオフ)を保証すると同時に、①財務省が全ての銀行を監査、②不安定な大銀行を連邦政府が支援、③危機の銀行を再編の柱からなる。

3.09 FDRは緊急銀行救済法に引き続き、膨大な数の法案を提出。ニューディール政策がスタート.

ニューディールは、全体として二つの大目的を持っていた。ひとつは迫りくる革命の危機を切り抜けること、もう一つはそのために連邦政府に権限を集中させることである。
後者の手法が新しいものであり、修正資本主義政策とも言われる。伝統的な自由・放任ではなく、ケインズ学説に依拠して政府が介入・統制し、資本主義システムを正そうとした。

政策は8つの柱に整理される。①銀行制度の再建、②企業の救済、③民間資本の投資促進、④レフレによる物価回復、⑤農業の過剰生産を抑制、⑥抵当権執行の抑制、⑦公共事業による雇用の確保、⑧失業者の救済(ただし最低限)

3.10 ルーズベルトは10億ドルの赤字に直面しているとして、議会に経済法を提案。連邦政府公務員の給与をカットし、退役兵恩給を最大15%減額する。これにより連邦予算の均衡を図る。財界向けのアピールと言われる。

3月末 銀行の4分の3が営業再開。10億ドルの通貨がふたたび市場に流通し始める。

4.19 金没収法が制定される。金本位制を破棄し、金とドルとの交換を停止する.

5月 農業調整法(AAA=Agricultural Adiustment Act)が成立。農務長官ヘンリー・A・ウォレスの願望を反映したものとされる。

農業生産の調整を図るために、農地の作付面積を制限したり、過剰農作物を政府が買い取る計画。助成金と生産量統制によって農業従事者の所得の安定化が図られ、購買力が回復した。農家の総収入はニューディールの3年間で5割増しとなる。

5月 証券取引委員会(SEC)が創設される。株式市場を監視し、預金保険制度を含む銀行制度の改革に乗り出す。

初代SEC委員長はJFKの父ジョセフ・P・ケネディ。FDRは稀代の悪玉を登用した理由を「オオカミを捕らえるためにオオカミを使う。彼なら取引のからくりを何でも知っている」と述べた。

5月 民間資源保存局 (CCC)、公共事業監督局 (CWA)、連邦緊急救済局 (FERA)が創設される。失業者を救済する一連の手段として機能する。テネシー川流域開発公社 (TVA)もこの施策の一部。

6月 銀行法(Banking Act of 1933)が成立。第2グラス・スティーガル法と呼ばれる。①銀行と証券(投資銀行)の分離。②連邦預金保険公社の設立、を柱とする。また頭金無しで株式を購入することが禁止される。

6.13 ニューディールの中核となる全国産業復興法(NIRA=National Industrial Recovery Act) が議会を通過する。初めて労働者の団結権が法的に承認されたことから、「アメリカ史上最も重要な法律の一つ」とされる。

法案成立の経過(かなり長い):
1.表向きの趣旨は過当競争を避けるために連邦政府が関連団体に協定を結ばせることである。いわばニューカマーの排除をもたらす官製トラストであり、連邦大陪審の判断のごとく、違憲の疑いもある。
2.法律の目的は「工業と農業に“公正な競争”を作り出すために、種々の産業で価格・労働規約を取り決める」ことにある。結果として過剰生産に陥っていた各企業の利潤が確保される。
3.元は資本家たちの提起したものであり、ムソリーニの「組合国家」を下敷きにしたものとされる。
4.もう一つの狙いは、企業の安定により労働者の賃金の適正化と生活安定を果たし、国民の購買力を回復させることである。さらにそれを通じて社会の安定、ストライキや大衆闘争の抑制を図ることである。
5.官製トラストは資本家の狙いであり、そのためのお題目として「労働者の生活安定」をうたうことには異存はなかった。これをルーズベルト政権は(結果的に)巧妙に利用したといえる。
6.政権は「労働者の生活安定」のための手段として、労働者の団結権、団体交渉権を持ち込んだ。それはどさくさ紛れに法律の柱の一つとなった。

6月 全国復興局(NRA)が創設される。その統制のもとに団結権(組合結成権)と団交権が承認される。その後実際の運動は「妥協点」を大幅に乗り越えていく。

10.13 AFLが,ナチスの労働運動弾圧に抗議してドイツ製品のボイコット運動を開始.

10.17 アインシュタイン(ユダヤ系)がナチスの迫害でアメリカに移住.

11.17 アメリカがソ連を承認.

12.05 禁酒法を廃止する。

12月 NIRA成立後、組合数は飛躍的に増加。これに伴い労働争議参加者も90万人に達する(前年比3倍)。

33年 グレートプレーンで3年にわたる大旱魃(30年に始まる。41年まで旱魃は続いた)。大恐慌とも重なり、多くの農夫が土地を手離し、さらに西海岸へと「大脱出」(エクソダス)を行う。

1934

1.24 ルーズベルト大統領が,ラテン・アメリカへの善隣外交声明.ラテンアメリカへの武力干渉を停止するとともに,プラット修正条項の廃棄,パナマ,ドミニカへの干渉権の放棄,ハイチからの撤退,メキシコ駐兵権の放棄を決定.

1.31 米政府,平価切り下げの方針を発表.

7 サンフランシスコで船員・港湾労働者13万人が立ち上がる。サンフランシスコ全市を4日間のゼネストに追い込む。闘いを通じて共産党の影響力が拡大。

8.15 ニューディール政策に反対するモルガン,デュポンらウォール街の巨頭がアメリカ自由連盟を結成.USスティール、GM、ATTなどアメリカの巨大資本を網羅。ルーズベルトのニューディールを激しく攻撃。

8月 ルーズベルトの肝煎でアメリカ青年会議が結成される。左翼組織からYMCA、ユダヤ人青年同盟まで幅広い組織が結集。当初ヒトラー・ユーゲントの手法が持ち込まれようとしたが、これらの傾向は排除される。

9 TUUL,AFLとの組織合体の方針を提起.40万人の組合員がAFLへ一斉加入.AFLは職能別組合に加入できない労働者を,産業別に組織する方針を打出す.

9月 AFLの指導する全国繊維ストライキ。11州の労働者50万人が参加するが敗北に終わる。

10.01 シカゴで反戦,反ファシズムの全米大会.

10 サウスカロライナを中心とした南部海岸部で,11州32万人の参加する織物工場労働者のゼネスト.死者13人を出して終結.

11.06 議会の中間選挙。メディア・自由連盟の反ルーズベルトキャンペーンの中、民主党が共和党に圧勝。

11.23 ナチスの排外的・好戦的政策に警戒が強まる。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに2万人が集まって大反戦集会.

34年 この年、ストライキ参加者は150万人に達し史上最大規模となる。

34年 ミネアポリス・チームスター(トラック運転手の組合)のストライキが勝利する。一時は州知事が戒厳令を宣言するが、最終的には労働者の権利を認める法律が成立。

34年 この年、歳出予算はGDP比10%を超えた。これはフーバー政権時の3倍にあたる。

1935年

1.04 ルーズベルト大統領が年頭教書で第2次ニューディールを提起.

1月 連邦大陪審が、全国産業復興法・農業調整法などに対し「公正競争を阻害しカルテルを容認している」として違憲の判決。

2.07 ルーズベルトは「コート・パッキング」計画を発表。保守派の牛耳る連邦大陪審に対抗して、判事構成の変更に着手する。

ルーズベルト発言: 米国の司法制度は幾多の病弊を暴露して居る。もし大々的な司法改革が行われないならば、司法部の権限から憲法までの根本的改正を考慮しなければならない。

3.19 ニューヨークで,万引きで捕まった黒人に警官が乱暴したことから人種暴動が勃発し,3人が死亡.

4月 第2次ニューディールの目玉として公共事業促進局(WPA)が設立される。これにより失業者対策事業が前進する。

5月 「第二の百日間」議会がスタート。全国労働関係法(ワグナー法)が提出される。違憲とされた全国産業復興法より、さらに明確に団結権が保障される。

7.05 全国産業復興法に替わるものとしてワグナー法が成立.労働者の権利保護がさらに強化される。

8月 社会保障法を制定。老齢年金、失業保険などが設けられる。

7 コミンテルン第7回大会,人民戦線路線を決定.以後共産党は急速に社会ファシズム路線を修正.

8.31 米議会,中立法を採択.

9.08 ヒューイ・ロング上院議員,ルイジアナ州バートン・ルージュの州議事堂で射殺される

ヒューイ・ロングは民主党の急進派であった。28年から4年間ルイジアナ州知事、その後上院議員となる。1932年の大統領選挙ではFDRを支持。その後「富の分配」を提唱し、FDRと決裂。来るべき大統領選ではルーズベルトの最大の対抗馬といわれた。

11.9 ジョン・ルイスら,アメリカ労働総同盟(AFL)内に産別労働組合会議(CIO)を結成.熟練工中心の従来型AFLに対し、未熟練労働者、黒人労働者などを組織。

産業別委員会はAFL左派を形成。組織員数は100万人に達する。末端には共産党の影響を受けた活動家が結集,CIOの5分の1が共産党の影響下にはいる.

1936年

2月 全米黒人会議(National Nigro Conference)が設立される。585組織120万人を結集。黒人諸組織はリンカーン以来の共和党支持を断ち、民主党支持に回る。

8.07 スペイン人民戦争開始.米政府はスペイン内戦に干渉しないとの声明.

8 大企業と結託したAFL指導部,CIO幹部ジョン・ルイスらを除名.

10.30 海運労働者4万人が西海岸の全ての港湾でゼネスト.カリフォルニア各地で,メキシコ人を主体とする農業労働者のストあいつぐ.

11.03 大統領選挙。ルーズベルトは「ウォール街の経済的王党派を打破する」とのスローガンを掲げ、歴代最多得票率で再選を果たす。マスコミの8割は共和党を支持。

12.01 ルーズベルト,ブエノスアイレス米州特別会議で,西半球の共同防衛を提案.反ファシズムに一歩踏み込む。

36年 米国の債務残高はGDP比40%に達する。これにビビったルーズベルトは、財政支出の削減に動く。FRBはインフレを警戒し、預金準備率を2倍に引き上げ、金融引き締めを図る。

1937年

1.06 アメリカがスペインへの武器の輸出を禁止.劣勢であった共和派軍に大きな打撃となる。

1月 スペイン人民戦争に参加するため、アメリカ人義勇兵3千名が組織される。リンカーン大隊、その後ワシントン大隊が編成される。その半数が戦死した。

1 ゼネラル・モータースで5万人の労働者がスト入り.バリケードを作り工場に立てこもる。44日間の工場占拠闘争のすえ勝利.産別労働運動は一気に拡大.引き続きクライスラーの工場占拠ストも勝利。

3.01 USスチールが団体交渉権と週40時間労働を認める労働協約を締結。

4.22 ニューヨークの第4回平和デモに過去最高の人数の市民が参加.

5月 もう一つの自動車メーカー、フォードのリバールージュ工場でも籠城スト。会社の組織した暴力団が自動車労働者組合のオーガナイザー数人を叩き出す。(41年には山猫ストで勝利し、組合を承認させる)

7月 第二次上海事変。日中戦争が始まる。

10月 FDRが、隔離演説(Quarantine Speech)を行う。

世界に無秩序という疫病が広がっている。警告もなく、正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が殺戮されている。疫病の流行から共同体を守るために、平和を愛好する諸国民の共同行動が必要だ。それによって病人を隔離するべきだ。

12月 再び不況が襲う。「ルーズベルト不況」と呼ばれる。予算均衡の立場から財政支出を大幅削減。この結果、軍備拡大策をとるまで1年余りにわたり続く。
 

ルーズベルト不況: 連邦予算を均衡させようとしたルーズベルトの拙速策の結果とされる。実質GDPは11%下がり失業率は4%上昇。失業者数は1千万を越えたままで推移。保守派は大規模ストライキによる労働組合の攻撃によって生じたと攻撃。

37年 南部黒人青年会議(SNYC),リッチモンドで結成大会.自由と平等,正義と人権をかかげ活動を開始.

1938年

4月 ルーズベルト、「国民の購買力を上げること」で「経済を上向かせること」が政府の責任であると主張。ふたたび拡大財政に転じる。

5.26 下院,非米活動調査委員会(ダイス委員会)を設置.親ファシストに対する統制を名目としたニューディール派への攻撃を開始する。これまでに共産党員は7万人に増加.

10月 連邦議会の中間選挙。共和党の勝利に終わる。民主党内保守派とつるんで、ニューディール政策の骨抜きにかかる。

10月 国務省声明。国際連盟の決議に沿って、中華民国における日本の行為をパリ不戦条約違反だと名指し批判。

11.18 産業別組合会議(CIO)がアメリカ労働同盟から独立.ニューディールと集団保障政策を支持すると宣言。

38年 

1939年

1.04 ルーズベルト大統領が中立法を廃止し,軍備拡大,反全体主義国家,ニューディール政策緩和を打出す.

4.01 スペイン内戦、フランコ派の勝利に終わる。米政府,フランコ政権を承認.

4.15 ルーズベルト大統領がヒトラーとムッソリーニに親書を送って戦争拡大防止を要請する.しかし提案は拒否される.

4.30 米国でテレビの普及が本格化。ニューヨークで開かれた万国博覧会の開会式がテレビで実況中継される。

8.02 アインシュタイン,ルーズベルト大統領に,ナチス・ドイツに先駆けて原爆を開発するよう進言する書簡.

8 スターリン,ヒトラーと不可侵条約を締結.共産党に対する不信広がる.ユダヤ系を中心に1万人以上の活動家が党を去る.

9.01 ドイツ軍,ポーランド侵攻開始.第二次世界大戦勃発.スターリンの指示を受けた共産党は、第二次大戦を「世界制覇を目指す帝国主義国家間の戦争」と規定,米国の中立を訴える.

1940年

4.22 ナチス・ドイツ軍が西部戦線を開く。英・仏連合軍がトロンヘイム北方でドイツ軍と交戦.

5.16 ルーズベルト大統領,ナチスに対抗するため年間5万機の飛行機生産と9億ドルの非常支出を求める.

6.14 ナチス,パリを占領.

6.27 ルーズベルト大統領,パリ陥落にともない国家緊急事態を宣言.

9.03 米英防衛協定が調印.

9.05 シカゴで孤立主義者が大集会を開き,中立を主張してルーズベルト大統領の対英援助を批判.

9.16 選抜徴兵制が公布される.

10.14 ルーズベルトレインボー計画(陸海軍統合戦争計画)を承認.

11.06 ルーズベルト,第3期目の大統領に就任.

12.29 ルーズベルト,「民主主義の兵器廠」となると演説

12月 この年末の時点でCIOは組合員数400万にまで発展。

1941年

1.07 ルーズベルトが3期目の大統領就任に当たり、「4つの自由」演説。言論および表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由を挙げ、反ファシズムの立場を明確にする。

3月 武器貸与法が成立。イギリス、ソ連などへの武器援助が本格化する。武器生産の活発化により工業生産が回復。

5.27 アメリカが国家非常事態宣言.「アメリカ政府を暴力によって破壊転覆することの教唆と宣伝」を犯罪とするスミス法を制定.

6 ナチス,「不可侵条約」を破りソ連侵攻(バルバロサ作戦)を開始.共産党は一夜にして方針を180度転換.「国家的団結」の名の下に軍需生産に協力.

8.1 石油の対日輸出を全面禁止.

8.01 ソ連への援助を規定した米ソ協定調印. 計107億ドルの武器・経済援助が行われることとなる.

8.12 ルーズベルト大統領とチャーチル首相が大西洋憲章に合意.ファシズムとの対決とする戦争目的を宣言。

12.08 真珠湾攻撃.FDRは対日宣戦を布告。この後米国は第二次大戦へ参戦。

12.11 ドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告.