中国経済の動向について書こうと思って調べ始めたのだが、どうも「中国こそが世界経済の牽引車」などというのは嘘だということになった。

そうではなく、ソ連・東欧崩壊後の動きというのは、一貫してアメリカがますます力をまして一国帝国主義の様相を呈してきたところに、事の本質があるように思えてきた。

日本で、並べて地方が沈滞し、ますます東京への一極集中が進むように、世界はますます沈滞し、ウォール街へすべての富が集中しつつある。中国が一時的に元気だからと言っても、それは発展すればするほどアメリカへの従属を強め、やがてはいまの日本のような状況に入るのではないだろうか。

中国経済が景気が良いと言っても、それはアメリカへの輸出を最大の条件としている。そのために各国から資本財をかき集めるから、波及効果が各国に及んでいるにすぎない。

ところが、米国の個人消費が天井を打ってしまった。実はアメリカ国民の貯金はとうの間に底をつき購買力は消失していたのだが、金融市場が悪辣にローンを押し付け、贅沢暮らしをさせてきた。

この借金バブルが崩壊したいま、アメリカ国民の多くが、ただの貧困者どころか札付きの破産者になってしまった。

ところがおかしなことに、アメリカ国民がそうやって貧しくなればなるほど、アメリカには資金が流入してくる。

米国の景気が悪くなれば世界の景気が悪くなり、資金管理者は投資先を店じまいし、それを米国に還流させるからである。好景気は世界を資本主義のもとに置き、不景気はそれを米国のもとに集中させるという循環が繰り返される。

まるでネグリやウォーラーステインをなぞるような話になってしまうが、これはアメリカ以外の国が今のような経済政策をとる限りの話であり、その先には底知れぬ滝壺が待っている。

どこかで米国中心主義から舵を切り替えなければならないし、それは可能だろうと思う。カギは各国が協調した内需拡大策、雇用・賃金の改善策、社会保障の充実策、そして税制の改革ということになる。

まさしくそれはニューディールの柱であるが、肝心なことは各国政府のイニシアチブ、そして少なくとも主要国の協調である。とくにアメリカ自身の手を縛ることが決定的に重要である。

各国政府が強調して、イニシアチブを握りながら何をするか?

それは富の生産ではない。

ここがケインズやウォーラーステインとの決定的な違いである。

モノは有り余るほどある。作る能力も保たれている。だから内需拡大はものづくりに向けられてはならない。

政策努力は、何よりもひとづくりと欲求創出に向けられなくてはならない。この一見、非経済的と思われる施策が、実は一番経済的に合理的な解決策なのである。

ただし、これを一国家だけで実現しようとすれば大変なことになる。輸出競争力は落ちるし、需要の増加はいずれは輸入の増加に繋がる。外国企業は抜け駆けを狙って、安値攻勢をかける。多国籍企業や国内の大企業は新規投資を見合わせる。


これが、社会党政権下のフランスでの1年間の経験である。

しかしこれをやっていたのでは、埒が明かない。政治幹部と経済官僚が国境の垣根を超えて変革の意識を共有する以外に方法はない。また変革を求める国民的世論を大いに喚起しなければならないだろう。