赤旗にバーニー・サンダースの演説の要旨が掲載されていて、いくつか分かったことがあった。
とくに、彼がなぜあえて、自らを民主的社会主義者と呼び、その立場を貫いて来たかという理由が見えてきた。
彼はフランクリン・D・ルーズベルト(以下FDR)の崇拝者だ。FDRの採用した個々の施策というより、FDRが勤労者・中間層を擁護すべく、大企業やそのイデオローグと対決する姿勢を貫いたことに共感している。
いわば、「遅れてきたニューディーラー」なのだ。
FDRは最低賃金制や、独占資本の規制策により「社会主義」のレッテルを貼られ攻撃された。しかし今ではその基本構想は米国社会に根付いている。それをもう一度無きものにしようとするのが今の支配層だ。
であれば、今あえて、自らを社会主義者と呼ぼうではないか、というのが彼の一貫した思いだ。
別に旧ソ連や中国型の国家づくりを目指すわけではない。むしろFDRとニューディーラーが思い描いた「良き社会」を取り戻そうと言うのが、彼の目指す方向だ。それが資本主義であるか否かは問わない。
彼が社会主義者を標榜するのは、それによって退路を自ら絶とうという決意の現れなのだろう。
かつてFDRが社会主義者呼ばわりにひるまずに、改革を成し遂げたように、バーニーも社会改革を目指す。
「それを社会主義というなら、よかろう。俺はまぎれもなく社会主義者だ!」

BuzzFeed News というサイトに

「社会主義者がアメリカ大統領候補に? バーニー・サンダースってこんな人――大統領選の注目は、ドナルド・トランプだけじゃない」

という記事があった。溝呂木佐季さんという方が書いたものだ。

非常に親切な記事なので一読をおすすめする。

そこにリンクされたChicago Tribuneをたどると、下記の写真(63年)があった。直接あたってもらえれば良いと思うが、著作権を無視して転載する。クレームあればただちに消します。

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63年にシカゴ南部の黒人地区で公民権を要求して座り込み、警官に排除される髪ふさふさのバーニー。


ルモンド・ディプロマティーク国際版に簡単なバイオがある。

1941年 ブルックリンの生まれ。両親はポーランドからのユダヤ系移民。

1960年ころ、バーニーはシカゴ大学で社会主義青年同盟(YPSL)に参加し、公民権運動、ベトナム反戦運動を担っている。

その後バーモント州で小さな政治結社「自由統一党」の候補として活動を続け、80年に州都バーリントンの市長に当選。市街地の再開発に敏腕を発揮した。

地元週刊紙ヴァーモント・ヴァンガー ド・プレスは、「バーリントン人民共和国」という特別号を発行して敬意を表した。

90年に連邦下院議員に当選。唯一の無所属議員として活動。2006年には上院議員に当選。2010年には高所得者層への減税措置に反対し、8時間にわたるフィリバスター演説を敢行した。

1年前に民主党に入党。大統領候補になるためだ。気楽に受けた民主党幹部はさぞかし臍を噛んでいることだろう。

ルモンドによれば、彼は革命の信奉者ではないし、英国労働党左派のジェレミー・コービンのような急進派でもない。サンダースが重視しているのは、所有と支配ではなく、再分配をめぐる闘いだ。