internacionalista さんからペルー大統領選挙についての情報をいただきました。ありがとうございます。
多分、ラテンアメリカ関連をサボっている私への叱咤激励の意味もあるかと思います。
とりあえずの感想ですが、私のペルーはオジャンタ・ウマラVSケイコ・フジモリのところで止まっています。
じつは、どうもアンデス左翼の方向性について確信が持てなくなっているところもありました。
おそらくはペルー共産党は党創立者のホセ・マリアテギの路線を引っ張っているのだろうと思います。マリアテギ自身が、先住民の意義を重視し彼らを立ち上がらせることにペルー革命の意義を見出していたことについては異論はありませんが、それがどの程度のものだったか、これは現場を見てみないとわかりません。
そのマリアテギすら、スターリン主義からの逸脱を指摘され批判された経過があるわけですから、どうしても都市の組織労働者に依拠することになるでしょう。
たしかにそれは必然だったかもしれません。ただいつまでもそうではないでしょう。
否応なしに資本が、道路が、商品が、文化が地方の隅々にまで浸透し、いまや地方の先住民を抜きに民主主義も政治も語れなくなっています。
それまでは一種のアパルトヘイト状態で、地方は国の政治とは無関係に生きてきました。しかし資本主義の浸透は逆に地方の政治参加を促したといえます。
そこをすくい上げたのがフジモリだったと思います。一面ではバラマキのポピュリズムと言われても仕方ないでしょうが、大事なことは、彼が地方の住民に初めて援助や「救い」ではなく、「展望」を与えたことだろうと思います。彼は地方に「農本主義」の思想を持ち込みました。その「展望」を持ったからこそ、地方はセンデロ・ルミノソを自らの手で駆逐したのだろうと思います。
リマの左翼は独裁者とか弾圧や腐敗とかを取り上げて、フジモリを悪しざまに罵るのですが、彼らが地方の小農・貧農(イコール先住民)、その難民としてのリマ市内貧困者に有効な展望を指し示しているのでしょうか。そこが気になります。
チャベスはベネズエラの左翼活動家でしたが、フジモリに学び従来の都市型選挙の枠を超えて大衆を組織し、その力で大統領に当選し、大衆の支えによりその座を守りました。(その任期の後半は強引な政権運営が目立ちましたが)
ベネズエラでは労働組合の多くは企業側と共同し、チャベスを攻撃しました。
新たな左翼の枠組みができようとする時、誰と肩を並べ、誰と対決するかは重要な問題です。
オジャンタ・ウマラは左翼の支持を受けて大統領選に出馬したのですが、決選投票でケイコと対決する中で、企業代表や札付きの右翼と手を結びました。それはリマの左翼の共同意志でもあったかもしれません。
はたしてそれでよかったのか。
その後のウマラ政権の軌跡は、それを疑わせるに十分なものでした。

と、ここまでが感想ですが、この後は少し勉強してからものを言うことにします。