以下は、1989年に広島で行われた「原爆後障害研究会」で研究発表した時の発表原稿です。

後に共著「原子力と人類」でその要旨を発表していますが、表のいくつかを割愛していたため、今回そのまま掲載します。

はじめに

当協会(北海道勤労者医療協会)での被爆者健診の経過を説明します。

北海道にも全道で500人を超える被爆者(被爆手帳公布者)がいます。北海道では従来、広島原爆病院より石田定先生が出張され、被爆者健診に当たられていました。(石田先生についてはこのページをご参照ください)

しかし被爆者の中では、「地元に安心してかかれる病院がほしい」という希望が強まってきました。

1972年(昭和47年)に被団協(北海道被爆者団体協議会)から当協会に、「被爆者健診に協力してほしい」との要請がありました。そして被団協、当協会に原水協(原水爆禁止北海道協議会)も加わって「被爆者健診をすすめる会」が結成され、独自の健診を開始しました。

当時、当協会は北海道の指定した健診機関ではなかったので、実施には苦労しました。その後、被団協を中心に北海道庁に対する働きかけを強め、1975年(昭和50年)に正式に健診機関に指定されました。

当協会では、現在、札幌病院が被爆者健診の指定医療機関となっています。(その後拡大し、すべての病院が指定されている)

被爆者健診 略年表

1964年(昭和39年)

北海道において、広島原爆病院の石田定医師による出張健診が開始される

1972年(昭和47年)

北海道被団協から、北海道勤医協へ健診への協力の申し入れ

1973年(昭和48年)

被団協、勤医協、原水協の三者により、「被爆者健診をすすめる会」結成。独自の健診活動を開始する。

1975年(昭和50年)

被団協をはじめ、「すすめる会」の働きかけの結果、道庁より「健康診断指定医療機関」の認可を受ける。

1984年(昭和59年)

健康管理手当の基準が「厳格化」され、当協会への転院者が増加。

1985年(昭和60年)

札幌医師会医学大会に「被爆者健診 10年間のまとめ」を発表。

1986年(昭和61年)

北海道被団協の生活相談会で、被爆者の病気の特徴について講演。

1987年(昭和62年)

北海道被団協の生活実態調査に協力。

1988年(昭和63年)

北海道民医連学術集談会に、「軍人被爆者の特徴について」を発表。

1989年(昭和64年)

広島の「後障害研究会」にパネリストとして参加し、研究結果を発表。

被爆者健診の概要

1988年(昭和63年)度の被爆者健診の受診者は160名でした。同年度の北海道全体の検診受診者は、道庁集計で約500名となっています。

下の図は、演者が被爆者健診を担当するようになってからの検診受診者の経年変化を示しています。

受信者数の変遷

この図から次のことが読み取れます。

まず第一に、被爆者健診の受診者が年ごとに増えていることです。これは全道レベルでもほぼ同様の傾向ですが、増加分の殆どが当協会受診の増加によるものであることがわかります。

このために受診者に占める当協会の割合は、1981年の21%から88年の32%に増加しています。

また、この8年間の総受診者は244名に達しております。

このような大きい比重を占めるに至ったのは、被団協の積極的な働きかけの影響が大きいです。とくに軍隊関係の人達が戦友関係を通じて掘り起こしに貢献しているのが特徴です。

また当協会としても、被爆者健診を特別に位置づけ、健診機関中スタッフを増強し、日曜特別診療体制を組むなど各種の対応を行ってきました。

副次的には、健康管理手当受給資格が「厳格化」されたために、他所の病院で書類作成を断られて、当協会に受診するケースが増えたこともあります。

(管理手当の「厳格化」は被爆者援護法の趣旨に明らかに反しています。後に被爆者の粘り強い抗議を受けて、かなり緩和されています)

検診受診者の内訳

受診者のうちデータが調査可能な対象となったのは160人です。

法区分別の内訳を示したのが下の図です。

法区分

広島の被爆者が134人、長崎が26人です。

1号は直接被爆者です。これは爆発の瞬間に指定された地域内にいて被爆した人です。2号は爆発の瞬間には指定地域内におらず、その後2週間以内に入市した人です。

2号の場合、市内というのは爆心から2キロ以内とされ、1号被爆よりかなり狭く設定されています。このため3号被爆というのが別に設定されており、「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」人が該当します。

しかしその条件もきわめて特殊な環境に限定されたものなので、最近はさらに3号の(3)項、すなわち「(1)、(2)には該当しないが、それらに相当する被爆事実が認められる方」も対象とされるようになりました。(89年時点では該当せず)

他に被爆者の区分として4号、胎児被曝がありますが、今回の調査対象にはふくまれていません。

次が受診者の性別・年齢別分布です。

受診者の分布

男性が109名、女性が61名であり、男性の数が圧倒的に多い。年齢別に見ると60歳代が突出している。しかもそれは男性に限られている。すなわち60歳代の男性が大集団を形成していることになります。これが軍人被爆者です。受診記録上は、総数は100名近くに達しています。

この年令は1987年の時点での年齢です。つまり被爆時点では彼らの多くは20歳代です。

この数字を見て、私たちはこの特異な集団、軍隊被爆者について分析を加えなければならないと思うようになりました。

ここまでが、当協会における被爆者健診の紹介を兼ねた長い前振りになります。

軍人被爆者と市民の違い (1)被爆の経過

そこで、被爆者を軍人被爆者(以下軍人)とそれ以外の市民被爆者(以下市民)に分け、軍人被爆者の臨床的特徴を探ってみました。

まず被爆のバックグラウンドですが、直接被爆者の割合、爆心からの距離については両群に有意差は認めませんでした。これは軍人被爆者の多くが直接被爆者でもあったことを示しています。

ついで、推定被曝量ですが、これは二つの問診で爆発時の放射能、フォールアウト(死の灰による被爆)を推定しました。

一つ目が「被爆時、あるいは直後1週間の間に熱傷・外傷あるいは胃腸炎・発熱・脱毛などの急性症状を起こしたか」という質問で、これにより熱線・ガンマ線の直接影響が強かったか弱かったかを推定しました。

被爆時の傷病

両群間に有意差はありませんでした。問診者によるバラつきやバイアスはありません。すべて演者による問診です。(演者自身のバイアスはある)

もう一つの質問が「いわゆる黒い雨に当たりましたか」というものです。

黒い雨については、当初市の西部の一部地域に限局されていたとされていましたが、その後、市内の各所で降ったことが証言から明らかになっています(松尾雅嗣「黒い雨はどのように記憶されたか」)。

黒い雨 地図

20%の人が雨にあたったと回答しています。これも両群間に差はありません。

つまり、急性・亜急性のガンマ線被爆については両群の間に差はないと推定されます。

それでは健診結果はどうだったでしょうか。

軍人被爆者と市民の違い (2)健診の結果

検診結果では軍人被爆者に明らかに異常が目立ちました。もともと健康だから兵隊になったので、60歳代とはいえ、見た目は人一倍元気に見えたのですが、検診結果は逆の傾向を示したのです。

最初が「データ異常数」です。下の表です。「疾病数」と書いたのはちょっと大げさかもしれません。

疾病数

健康診断ですから、病気とはいえなくても軽微な異常があればチェックします。60代ともなれば、血圧・診察・血液・尿・レントゲン・心電図のいずれかで、「叩けばホコリが出る」可能性はあります。

しかし、これを統計処理してみると明らかに両群間には差があります。軍人のほうがより多くのデータ異常を示しているのです。(すみません。面倒なので有意差検定は行っていません)

次にデータ異常の中でも、とりわけ差が目立った肝機能を取り出して、同じく両群を比べてみました。

これは肝機能の項目が少しでも正常域を超えれば、異常としたものです。アルコール、肥満、ウィルス、免疫等の異常については一切考慮していません。

肝臓障害の有無

たいへん雑駁な表で申し訳ないのですが、肝機能異常者の割合は市民が17.6%であるのに対し、軍人は28.0%と明らかな差を認めます。

ただこれは、軍人が男性オンリーであるのに対し、市民は女性が多く混じっているので、アルコールをふくむ生活の影響が否定できません。

実は、同時期に札幌病院で行われた成人病健診のデータの集計から同年代男性を抽出して、肝機能異常の出現率を出した所、軍人被爆者の肝機能異常者の割合が有意に高いという結果を得たのですが、データが散逸してしまいました。

しかし今調べても、市民、軍人ともに肝機能異常の出現率は一般市民に比べて明らかに高いだろうと思います。

三つ目が腫瘍の頻度の比較です。

この項目については明らかに時代の限界があります。当時はまだ「ガンの告知」などとんでもないという時代でした。

したがって演者の問診と推理で「腫瘍だろう」というものを拾いだしたものです。さらに、検診時にオプションで検査したCEAとCA19-9の異常者を加えたものです。

腫瘍の発生件数

これに関しては市民の方に発生頻度が高い傾向を認めたものの、例数が少ないため有意の差は出ないだろうと思います。

ただ特徴だと思ったのは、軍人のガンが胃(当時もっともポピュラーなガン)に集中しているのに対し、市民の方は乳がん、肺がん、咽頭部腫瘍など多彩であることです。

放射能への暴露の様式が両群間で異なり、これがガンの原発部位の違いに影響を与えていることも考えられます。

肝疾患に注目した二次解析

肝機能という有無を言わせぬ客観的データで、軍人被爆者の特異性が浮き彫りになったことから、肝機能に注目して二次解析を行いました。ただし例数が少なくなるので有意差の判定には慎重さが求められるでしょう。

距離別肝疾患

市民、軍人ともに3キロ以遠の被爆では肝疾患の頻度が減り、距離の影響があります。しかし3キロ以内では、両群ともにはっきりした傾向は認めません。

爆発時の放射能と肝機能異常との直接の因果関係、すなわち同心円的パターンは認められないといえます。

しかし被曝量に関係すると思われる「被爆時、あるいは直後1週間の間に熱傷・外傷あるいは胃腸炎・発熱・脱毛などの急性症状を起こしたか」という質問と肝機能異常を関係づけてみると、下記の表のようにかなりはっきりした特色が出てきました。

傷病体験と肝疾患

軍人の場合で見ると、傷病体験のある被爆者30人のうち14人に肝機能異常を出現しています。すなわち異常率48%という高率です。これに対し傷病体験のない軍人は28人中6人にとどまります。すなわち21%です。

いっぽう、市民被爆者は傷病体験と肝機能異常との間にまったく関係はありません。肝機能異常の出現率は33%です。

つまり、軍人の間の肝機能異常の高い出現率の原因は、このハイリスク・グループの寄与によるものだといえます。

また市民の傷病体験と軍人の傷病体験の間には「質的な違い」があると予想されます。それには軍人被爆者の爆発後の行動パターンについて検討して見る必要があるでしょう。