不破哲三さんの「スターリン秘史」が終わった。

衝撃の連続で、一つ読み終わるたびにぐったりする。

問題はこれらの「歴史の真実」をどう受け止めるかだが、私はこれは「歴史の真実」ではなく、「歴史の裏側に隠された事実」と考えるべきだろうと思う。

歴史の真実とは次のようなものだと思う。

1.第一次世界大戦のさなかに「社会主義」体制が登場した。「社会主義」ソ連は列強による世界支配に対するアンチテーゼと受け止められた。しかしそれは当初より社会主義体制ではなかった。

2.社会主義ソ連は、自国を守ることと「社会主義」を守ることとを意識的・無意識的に混同し、多くの共産党員がそれに従った。

3.1930年代に入ってスターリンの誤りは深刻なものとなり、各国の民主運動にも影響を与えずにはおかなかったが、それらはファシズムとの対決を目前にする各国民主勢力には軽視された。

4.戦後もファシストとの闘いを続けた人の間には、ソ連に対する幻想が残った。とくに日本のような敗戦国では、民主主義の「旗頭」であったアメリカやソ連に対する敬意が無条件の賛美となった。とくに戦後反動の中でアメリカに対する幻滅がソ連への希望となった。

5.しかしこれらの民主運動はやがてソ連とも、後には中国とも一線を画すようになり、とくにベトナム人民連帯運動で明らかな独立性を獲得するようになる。その後、原水爆禁止運動や各種の連帯運動で独自性が明らかになっていく。

肝心なことはスターリンが存在した下でも民主運動は発展してきたということであり、スターリンを奉ずる人もその発展に寄与してきたということである。

これは資本主義・帝国主義でも同じことで、はるかに巨大な規模で資本主義者は民主勢力を弾圧し、多くの人を犠牲にしてきた。にも関わらず民主運動は発展してきたし、資本主義を奉じる人もその発展に寄与してきた。

民主勢力はスターリンやスターリン主義者と闘ってきたわけではない。まず何よりも帝国主義勢力や独占資本と闘ってきたのだ。彼は味方陣営に潜り込んで撹乱した裏切り者だ。主敵ではない。もし主敵であれば民主勢力は一撃のもとに倒していただろう。

これ以上「たら・れば」の話をしても仕方ないので、紆余曲折の過程を辿りつつも全体として運動は発展し、認識は進歩してきたという観点がだいじである。

そういうポジティブな流れで考えれば、今回の不破さんの本は共産主義者の認識の発展であり、その結果としてのスターリン主義への最終的な決別の辞と受け取ることができるだろう。

率直に言って、この本はスターリン糾弾を急ぐあまり、民主運動に対するペシミズムが窺われないでもない。あたかも民主勢力や共産主義勢力がスターリンの意のままに動かされていたかのようにも読める。

とりあえず抽象的にしか言えないが、民衆は共産党が思う程まんざらに馬鹿ではないのだ、と思う。

逆に言えば共産党は不破さんが思っているほど利口でもなんでもないのだ。それはみんな表立って言わないだけの話だ。

最後にあえてきつい言葉を使ったのは、ここまでスターリンの過ちを剔抉したのなら、共産党はみんなに向かって「すみませんでした」と頭を下げなければならないということだ。不破さんの「論理」はそれを迫っている。

それが最後の最後まで語られずに終わるのでは、こちらもきつい言葉を使わざるを得ない。一考を乞う。