すみません。とんでもない間違いをしていました。「経済学要綱」の著者は父ミルでした。いま気づきました。完全にドツボにはまっていました。
そういえば確かにそうです。資本論でもマルクスは父ミルを一定評価していたが、息子の方はケチョケチョンにけなしていたことが思い出されました。
反省の意味も含めて、そのままブログに晒すことにします。(3月31日)

とりあえずの感想としてミルとマルクスとを対比してみると、

1.革命家対改良家の違い

ミルはそれなりに進歩的で、資本主義の矛盾も感じていたと思われるが、根本的な矛盾は感じていいない。ヨーロッパの動乱は、産業が隆盛するイギリスにとっては、文字通り対岸の火事であった。

マルクスはまず何よりも革命家であった。48年の革命に自らも参加し数度にわたり勾留され、その後イギリスでの亡命生活に入った。

彼にとっては理論はつまるところ革命のためだ。だから「資本主義の弔いの鐘がなる。収奪者が収奪される」というのは革命家としての願望であり、ほとんど信仰に近い。

ミルにとっては、たとえ忌まわしい側面を持っていたとしても、資本主義的生産システムそのものが自明の前提であるから、マルクスと似たようなことを考えても、その結論は真逆になってくる。

確かに「収奪者が収奪され」ても問題は解決しないわけで、システム構築課題としては、収奪者が収奪できなくなることのほうが本質的であるが…

2.民衆を見る目の違い

ミルは明らかにエリート主義者だ。参政権の拡大を主張したとしても、それは条件付きであり、根本的にはアリストクラシーの信奉者だ。ただこれには時代的制約があり、いまの世の中ならもう少し別の考えを持ったかもしれない。

「衆愚政治」をめぐる懸念は革命家にとって常に悩ましい問題だ。マルクスはこれを「労働者階級」という概念をつくり上げることによって克服しようとした。

そしてそのための土台を、科学技術革命の中に求めようとした。それはかなり説得力のあるものではあったが、結果的にはそれはスターリニズムを生み出してしまった。

この点については、これからも「真の人類の歴史の始まり」を目指す模索の時代が続くと思われる。

それまでの間をどうするか。それには、もう少し虚心坦懐にミルの意見を聞くべきだろう。

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