を増補しての感想

年表を作ってみて分かったのは、昭和23年1月6日のロイヤル陸軍長官の「日本を反共の防波堤に」発言は、明確にマッカーサーの顔に泥を塗る行為として行われたということである。

年の初め、マッカーサーは年頭の辞「日本国民に与う」を発表している。まるで天皇きどりである。

しかしこの間に本国では対日政策の変更が準備されていた。昭和22年3月にトルーマン・ドクトリンが発表され、すでに基本線の変更は確認されていた。

それ以降、外堀は徐々にしかし確実に埋められてきた。とくに公務員の「忠誠テスト」はGHQ民政局のニューディーラーには脅威であったろう。

いつの間にかマッカーサーは裸の王様となっていた。そして国務長官にマーシャル元帥が押し立てられた。それは国務省がマッカーサーに全面対決のポーズをとったことを意味する。裏で動いたのはアチソン次官だったろう。

国務省は日本に「逆コース」を迫るにあたり、陸軍省を表に立てた。マッカーサーを封じ込めるためである。

それがロイヤル長官の談話であり、陸軍省の派遣したストライク調査団であり、仕上げに送られたドレーパー陸軍次官をトップとする調査団である。

マッカーサーは軍人だから上級の命令には逆らえない、というところを突いたわけだ。

怒ったマッカーサーは大統領選挙に立候補するといってみたり、いろいろ策動を巡らせるが、結局は冷戦システムの中に埋没していくことになる。